“読者と編集者が一緒に作る”女性WEBメディアPRIMEの編集者ミイです。

仕事子育て趣味全てを諦めたくない30代後半のワーママ歴14年目。

PRIMEの運用を任され、同世代である30~40代女性の働き方や生き方、一括りにはできない女性のあらゆる選択と人生を肯定し応援できるメディア作りを目指しています。

今日はそんな私が、日本の少子化解決の鍵を握る当事者として、自身の経験から日々働く女性やワーママに寄せる想い、そこからPRIMEにかける想いなどを語らせていただきます。

新卒からワーママ時代まで社畜だった

『PRIME』より引用
(画像=『PRIME』より引用)

私は、新卒で人材総合サービスのそこそこ大きな会社に入社しました。

超就職氷河期に数千人規模の会社から内定をもらったことは大変ありがたく、会社に何としても貢献せねばという思いひとつで15年間がむしゃらに勤めました。

その会社は超体育会系の男性社会。激務から結婚したら事務職であっても女性は寿退社していくような環境でしたが、私自身はそんな中で総合職としてバリバリの営業畑で育ち、仕事第一、売上第一の気付けば立派な社畜に育てられていました。

社会人のいろはを叩き込まれ、結婚、妊娠、出産もその会社で経験。私の社会人生のほとんどはそこで彩られており、社畜と書きましたが、今でも前社に対しては愛着を持っています。

何よりも私はそこの仕事が好きで、やりがいを持って精力的に働いていました。女性の中では全社的に見ても若いうちから昇進の話もいただいたりして、お客様と関係を築いたり、売上に貢献していく営業の仕事が楽しくて仕方ありませんでした。

すべてのキャリアが狂った第一子妊娠

『PRIME』より引用
(画像=『PRIME』より引用)

私には長く付き合っていた男性がおり、彼と25歳で婚約をしました。

20代のうちに2人の子供にも恵まれ、周囲よりは早めに諸々のライフイベントを迎えましたが、私自身は20代での出産は身体面でも適齢だと思っていたので早いと感じてはいませんでした。

しかし、妊娠してみたら、社会はまだワーママを受け入れる土台ができていない過渡期。社員2000人を抱える会社でパイオニアとしてスタートしたワーママ生活は予想外のものでした。

まず待ち受けていたのは、これまでのキャリアのはく奪と簡単な業務への異動。事あるごとに、残業ができなことを持ち出されてしまう状況。もちろん昇進の話は立ち消え。今になって分かりましたが、当時たくさんのワーママがくらっていた「マミートラック」のど真ん中に私もいたのです。

それでも当時の私はそんな状況もワーママとして「当然」であり「仕方ないこと」と素直に受け入れ、なんとか前向きに日々過ごそうと、そして傷ついたプライドと自尊心を守ろうと葛藤しながら戦っていました。

また、これは私ならではの経験かもしれませんが、夫が日本の伝統芸能を生業にしており、産後復帰はまわりから見たら「腰かけ」「ご主人がお金持ちだから働く必要はないんじゃない?」と思われていた部分があったようです。

でも、当時夫は稼ぎも貯金もあまりなく、言うなれば駆け出しのフリーランス。 実情は、「私が世帯主となり収入を支えなければ」「私だけは正社員でいなければ」と必死でした。しかし、それを職場で口にするのは4歳から跡継ぎとして稽古に励んできた夫の歴史も家の名も傷付けてしまう。だからそうした勝手な視線にも明るく対応し、心の中ではひたすら我慢していました。(今では夫も安定した仕事の基盤を作り上げてくれています。)

結婚から15年近くたった今でも、職場で夫の職業について積極的に言及しないのは、そういう経験もあるのかもしれません。

そして、それは日本に蔓延る「女性は家庭を守るもの」というすり込みがこのようなかたちで偏見を生み、女性の社会進出を阻む一因にもなっているのだろうと実感しています。

そんなモヤモヤとともに過ごす中、結局は逃げるように2人目を妊娠。

今考えればとても不当な扱いでしたが、当時ワーママは遠慮して社会復帰する風潮がまだ残っていました。しかも私はパイオニアだったため仲間もおらず、そんな中で声を上げるのは無理でした。

それでも本来の前向きな性格で、やりがいを見つけながら1年ほど頑張りました。相互理解を得た同僚は増えましたが、肝心な管理職にワーママの働き方を理解してもらうには至らず単純作業に従事

そのうち可愛い子供を預けてまで毎日やってくる屈辱的な時間が耐えがたい時間となっていきました。

そこで、私はいずれ欲しいと考えていた2人目を意図的に早めることで社会的再起をはかったのです。