◆「実家の細いシンママ」だった紫式部の生きづらさ

『紫式部は今日も憂鬱 令和言葉で読む「紫式部日記」』
『紫式部は今日も憂鬱 令和言葉で読む「紫式部日記」』(堀越英美著)
 もともと紫式部は人付き合いが大の苦手で、「仕事なんて無理!」というタイプでした。

 恋愛にも奥手で、20代後半で親子ほども年の離れた変わり者の親戚に求婚されて結婚。数年で夫と死に別れたあと、手慰みに書き始めた『源氏物語』でブレイクし、娘の彰子の後宮をテコ入れしたい藤原道長に女房としてスカウトされたのです。

 実家の細いシンママとして娘を養わなくちゃいけない紫式部に、断る選択肢はありませんでした。しぶしぶ後宮に出仕してみれば、いきなり女房たちに無視されてしまい、5か月も出仕拒否することに。

 どうやら『源氏物語』が有名すぎたため、出仕前から敵視されていたようです。以下は、意地悪な女房から言われた言葉です。

▼『紫式部は今日も憂鬱 令和言葉で読む「紫式部日記」』より抜粋▼

すごく気取っててご立派で、とっつきにくいトゲトゲした人なのかなって思ってた。物語好きで、教養をひけらかして、すきあらば和歌を詠む、みたいな。それで人を人とも思わない、憎たらしく人を見下す人に違いないって。みんなそう言って嫌ってたんだけど

 女房の世界こわい……。アホのふりをしていれば女房たちが油断してあたりが柔らかくなる…と気づいてからは、どうにか出仕できるようになった紫式部。しかし生きづらさは終わりません。