「性加害について『もちろん許しがたいこと』『容認しているのではありません』などと非難はするものの、そこにはジャニー氏という“主語”はなく、巧妙に一般論にすり替えています。問われているのは、ジャニー氏とその悪行についてなんですけどね。そこに触れない限り、忖度と言われても仕方がありません」(同)
そして、ジャニー氏に対しては多くの才能を見出だし、所属タレントが歌う楽曲が戦後の日本人に夢を与えてきたと称賛。ジャニー氏のプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的かつ倫理的な意味での性加害を容認することとは全くの別問題だとしている。
「アーティストが不祥事を起こしたとしても、作品に罪はないという意見は、たしかにひとつの正論です。特に、山下のような“音楽至上主義者”ならなおさらでしょう。しかし、少年のアイドル性やタレント性を見抜くジャニー氏の特異な能力は、彼の“特別な嗜好”が深く関係しているとの声もあります。つまり、ジャニー氏の功績は性加害の犠牲の上に成り立っている、と見ることもできるわけです。そのあたりの検証もなしに、山下のように別問題と断じるのはいかがなものか。仮にジャニー氏の功績があったとしても、彼の過去の行いが断罪されようとしている今、あえてジャニー氏を称賛するのは被害者感情に配慮しない不適切な行為です」(同)
山下達郎といえば職人気質で知られ、「テレビへの顔出し出演はしない」「大規模なアリーナ級の会場でのコンサートは行わない」「著書を書かない」といったこだわりを頑なに貫き通している。日本音楽界における“良心”とも言うべき存在で、山下のファンたちは音楽だけでなく、彼のミュージシャンとしての揺るぎない信念や矜持にも信を置いてきた。
だが、今回の発言によって「晩節を汚した」とまでは言わないにしても、これまでの輝かしいキャリアが色褪せて見えてくるのは気のせいか。