バラクーダの二人は浅草の舞台を中心にテレビ・ラジオの寄席番組への出演等の活動を始める。1979年、作詞を岡本、作曲を鈴木が担当した「日本全国酒飲み音頭」が72枚を売り上げる大ヒットとなり、続いて「チャカ・ポコ・チャ」(40万枚)、「演歌・血液ガッタガタ」(50万枚)とヒット曲を連発し、一躍歌謡界の寵児となる。

 1988年にベートーベン鈴木は「バラクーダ」からの独立を宣言、その後は作詞作曲を中心に、コミックソング漫談家として浅草東洋館をはじめ多種多様な仕事先で精力的に活動している。

 先日、当コラム開始にあたって鈴木会長と電話で話をした。そのとき、会長は「内容に愛が感じられるなら、悪口っぽく書いたってかまわないよ」と言い、さらにこう言葉を続けた。

「浅草の芸人は、言ってみれば中途半端なんだよな。昔、松竹演芸場(※浅草六区にあった演芸場、1983年に閉鎖・取り壊しとなり、現在は浅草ROXビル本館が建っている)があった頃は、欽ちゃんだってビートたけしだって、芸人はみんな売れて浅草を出ていくことを目標にがんばったもんだ。そして、売れた芸人は浅草の芸人から全国に知られる芸人になっていったんだ。浅草で芸人やってることで満足してちゃ駄目なんだよ。俺も一度は歌がヒットして世に出たけど、今だってまた世に出ることをあきらめたわけじゃない」

 東京演芸協会の会長として協会の運営と若手芸人の育成に励みながら、ベートーベン鈴木は今もなお、自分自信の芸の向上と次のヒット曲への飽くなき挑戦を続けているのである。