中でもゆいが好きになるパチプロでアーティストの狩野恭二(錦戸亮)の含みのある色っぽい台詞は、大石にしか書けないものとなっていた。宮藤単独で描いていたらパロディ色が全面に出過ぎていただろう、ゆいと恭二の不倫ドラマパートを大石がシリアスなメロドラマとして書き切ったことが物語の中で異化効果を発揮しており、錦戸のミステリアスな存在感もあってか恭二の存在を面白くしていた。こういった面白さは共同脚本ならではだろう。

 海外ドラマと比べると日本のテレビドラマは一人の脚本家が全話執筆するケースが多い。1クールのドラマだけでなく、話数の多い大河ドラマや朝ドラでもそれは同様で、宮藤や大石のような作家性の強い脚本家が育ってきた背景には、こういった独自の執筆体制がある。

 しかし、この執筆体制は一人の脚本家にかかる負荷があまりにも大きい。同時に近年は専門知識が求められるドラマも増え、監修として専門家のファクトチェックが入る機会も増えているため、海外ドラマのように、プロデューサーが全体を観て、複数の脚本家で回していく体制も模索されている。だが、各話をバラバラに脚本家が書くと作品ごとに凹凸が生まれ、世界観がバラバラになってしまう。このブレをどうやって補うかということに対する一つの回答として模索されているのが、複数の脚本家が分担して1話を書くという手法である。