『ザ・ノンフィクション』生き急がないといけない芸能界
中島も仲田も学校を卒業後、しばらくは別の仕事をしてから、一念発起し芸能の道へ踏み出した。しかし、この「しばらく別の仕事をしていた数年間」が、若さ至上主義の芸能界に進む場合、もったいないタイムロスだったように思う。中島の母親も困惑しつつ「何でもっと早くから行かへんかったん? って思ったけど」と話していた。
学校を卒業後しばらく別の仕事をしてフラフラした後、自分の道を選び進んでいくこと自体は珍しいことではないし、むしろそのくらいのほうが納得した上で進路を選べて良いとも思うが、芸能界に進むには「遅すぎる選択」なのは、素人であろう中島の母親でも私でもわかる。
芸能人を目指すならば必然として、生き急がないといけない。あらためて、芸能界は一般社会とは異なる業界だと感じた。
次回は「花子と大助 ~1450日ぶりのセンターマイク~」。2018年3月に症候性多発性骨髄腫で余命半年と告げられた宮川花子が、5年にもわたる闘病の末、なんばグランド花月(NGK)のセンターマイクに復帰するまでの軌跡。