週刊現代が石井克尚編集長に代わって、少し変わってくる兆しが見えてきているように思うが、「現代編集部がおかしい」とデイリー新潮が報じている。

 発端はこうだと現代の発行元の講談社の中堅社員が話している。

「騒ぎが始まったのは5月半ばです。6月1日付で『週刊現代』の編集長が交代する内示が出たのですが、『なぜあの人なのか』と編集部員が猛反発。一部の社員が『納得できない』と社内で公然と批判するばかりでなく、6月1日から休職に入ると宣言したのです」

 Twitterで堂々と休職を宣言する社員も現れたという。新体制が始まった6月1日時点で、出社しなかった編集部員は4名もいたそうだ。

 現代編集部は編集長を入れて19名。もともと別の理由で休職していた1名を除くと、14名で週刊誌を制作するという異常事態になった。

 この編集長は3年前にも就任している。だが、編集部員への当たりが強く、パワハラと取られかねない問題行動が多数あったというのだ。当時の編集部の様子を知る複数の関係者はこう証言する。

「毎日のように机を叩いて大声を出し、部下を脅すような態度を取っていました。さらに、他の編集部員もいる中で、若手社員を『頭が悪い』『小学生レベル』などと罵倒しながら長時間叱責。それぞれの部員が書いた原稿は最終的に編集長が確認するのですが、プリントアウトした原稿を見せると放り投げたり破ったりすることもあった」(若手社員)

 若手社員が1週間、音信不通になる“失踪事件”までもが発生した。さらに、21年6月に配属された新入社員は、ギスギスした編集部の雰囲気に耐えられず、その年の11月には会社に来られなくなってしまった。結局、在任中の1年半ほどの間に5名が休職したことが決め手となり、21年11月に編集長を交代することになったという。

 だが、今回の「再登板」で騒動が再燃し、批判の矛先は編集長より人事を断行した常務取締役に向かっているというのだ。

「今回の編集長人事には人事部も組合も反対したが、最後は担当役員が独断した。彼は周囲に『アイツにもう一回チャンスを与えてやりたい』と漏らしていたといいます。そんな情実人事で下につく社員がどんな思いをするのか、経営陣はわかっているのでしょうか。しかも、担当役員は編集長の過去のパワハラを半ば認めており、にわかには信じがたい再発防止策まで講じているのです」(前出・中堅社員)

 その“対策”が、編集長は企画の採案には関与するが、原稿作成のプロセスはすべてデスクに任せ、一切コミットしないというものだというのだ。編集長は原稿も読まず校了紙しか目を通さないのでは、なんのために編集長がいるのか。

 この編集長が石井で、担当の常務は鈴木章一である。少し前に常務が編集部員に向かって、「編集長はいないものと思え」といったと書いたが、それはこのことだった。

「彼らは個人的な思いだけでなく、会社に気づいて欲しいという思いで行動を起こしていることを、他の社員もわかっているからです。残った部員たちは6月1日、編集長にどうするのかと問いただしましたが、過去の言動について一部謝罪があったものの納得のいく説明はありませんでした。翌日には担当役員が同席する会議が開かれ、責任を追及したといいます。ただ、役員からも事態の混乱を招いたことについての謝罪があったものの、具体的な対応策は示されなかった。部員側から『ひとまず1、2週、休刊してはどうか』という提案もあったのですが却下。結局、うやむやにされたまま新体制がスタートしてしまったのです」(同前)

 この事態を受けて労働組合も動き出したという。6月上旬、職場の代表者から構成される代議員会を非常召集して対応を話し合ったそうだ。

 週刊現代OBとしては聞くに堪えない恥ずかしい騒動である。

 話題になる誌面作りをしないで、編集部の不祥事が他メディアで報じられて話題になるとは、恥の上塗りである。

 現代の実売部数は約15万部。10万部を切れば上のほうから「休刊」という声が起きるのは間違いない。私がやっていた売れに売れている時でも、社の上の目線は冷たかったのだから。

 部内でつまらない内紛をやっている暇があったら、1本でも話題になり、世の中を少しでも動かすネタを追いかけろよと、私は無性に腹が立っている。

 週刊朝日の最終号は話題になり売れに売れ、増刷までしたそうである。NHKの『サラメシ』でも編集部を取り上げ、女性編集長が夫の作ってくれた弁当を食べるシーンや最終校了日の模様を放送した。

 だが、週刊現代がこのまま休刊しても、取り上げるメディアはないだろう。ニュースバリューがないからだ。

 常務は騒動の責任を取って週刊現代の担当をはずれ、石井編集長は部員の不満を聞き取り、自分の至らなかったところは認め、改めるところは即刻改めるしかないのではないか。

 それこそ、トヨタではないが講談社のガバナンスが問われているのである。