ではなぜ太田さんはこんな大変な作業をしているのだろうか。太田さんは本編で「田中を喜ばせたいだけですから、褒められたいだけ」と語っているが、それは照れ隠しに違いない。僕の推測だが、漫才師が年に一度『M-1』という「ルールに縛られたネタ」と向き合うように、太田さんも年に一度、漫才とはまた違ったルールの中で、自分の笑いを表現したいのではないだろうか。
漫才やトークや書籍など、太田さんの才能を堪能できるシーンは数多く存在するけど、僕はこの川柳こそが、太田さんの才能を最も「原液のまま」感じられるツールなのではと思う。漫才だってもちろん世相とユーモアを入れ込んでいるが、その出来事をしっかり説明してからボケるまである程度の時間を要する。一方この川柳は、基本的に「5・7・5」の17音というものすごく厳しいルールの中に世相とユーモアを詰め込んで完成させなければならないため、一切の無駄がなく濃度が高くてめちゃくちゃぜいたくなのだ。太田さん毎年必ずやってくださいね、こんなに楽しみにしてる人がいます。
ここで一句詠んで締めたいところなのだが、本当に思いつかない。あらためて太田さんの偉大さに感服したところで、来年の「サラ川」に応募できるように、今から準備を進めたいと思う。(編集/斎藤岬)