現代、ポスト、新潮は来年中には10万部を切るところまで落ちるのではないか。
週刊文春は現状維持が精いっぱい。文藝春秋は新谷学編集長になって、週刊誌的な特集が増えているように思う。部数は下げ止まり、やや上向き加減だが、かつて私が読んでいた“国民雑誌”的な重厚さが失われているように思える。
その悪しき例が「朝日襲撃『赤報隊』の正体」だと思うが、詳しくは前に書いたのでここでは繰り返さない。
このところ通販雑誌のハルメクが首位を堅持している。私のようなジジイには何が面白いのかわからない雑誌ではあるが、通販というのが中年の女性たちには“ステータス”を感じさせるのだろうか。
私のような古い編集者には不思議でならないのだが、出版界には「柳の下にドジョウが二匹はいる」というのがある。
他社でヒットした雑誌や本をそっくり真似て出すのは、極めて真っ当な競争原理なのだ。
週刊新潮がヒットすれば週刊文春や週刊現代が出る。平凡パンチが売れれば週刊プレイボーイを出す。ananが注目を集めれば、camcam。ポパイが出ればホットドックプレスを出す、というのはこの業界の“常識”で、面白いことに、物真似雑誌のほうが本家よりも売れるのである。
本家の定番料理にちょっとだけ自社の味付けをする。それが後発雑誌が売れる理由なのだろう。
今やハルメクの編集長はメディアに引っ張りだこであるが、それを指をくわえ、うらやましそうに黙って見ている他社の編集者たちにいいたい。
なぜ、「ハルメク」からヒントを得て「トキメク」という雑誌を出さないのだろう。
失礼ないい方になるが、ハルメクの特集を見ていて、これはうちではできないと思うものはほとんどないといっていいのではないか。
お片付け、スマホの操作の仕方、相続、遺言の書き方など、現代やポストが毎号特集しているものとたいして変わらない。
トップ雑誌が50万部というのは寂しい気がするが、トップの宿命は真似されることである。2誌ぐらい創刊されれば、お互い切磋琢磨して市場が広がるかもしれない。
漫画だけを後生大事に守っていけば当分は大丈夫。そういう守りの姿勢では、出版界はますますシュリンクしていくしかない。
いっそのこと、現代とポストを「トキメク」にしたらいいのではないか。月2回発売で、月初めはオジイサン版、月半ば発売がオバアサン版というのはどうだろうか。
編集者の基本は「温故知新」である。知恵の枯渇した編集者は、昔ヒットした記事や読み物からアイデアを拾い、売れている雑誌の物真似をすることだ。それさえもできなくなったのは、頭のいい子ばかり入社させた“弊害”ではないか。