こういうのが音楽媒体ではあんま書けないからこそ、こうして自由にして奔放にして混沌な論評を繰り広げているのであるが、聴き方、並びに刺さり方には色々あんだよっつう事でどうか怒らないで欲しいしその考えに基づいて前作を聴き直すと実は、前作にも歌メロだけに注力して聴けばポストグランジ/パワーバラードしている曲が多く、「Wasted Nights」なんかがより一層好きになった(めっさパワーバラードだから)なんつう効果もありました。

 跳ね回るリズムパターンに加え、それ以上に跳ね回る譜割りが聴感以上に体感に気持ち良く作用する「Prove」と来て、お次も個人的に、いやこれは皆様的にも衝撃的であった事であろう「Mad World」。歌詞中に尾崎豊「15の夜」を登場させ、若かりし頃の自身、そして事象の大小を問わず誰にでもその時期にあったと思われるモラトリアムについてを歌い上げる。

 これぞ正におっさん宣言に他ならぬ表現であるし、ライブでも、そして他誌面に於いても度々発言している、若い世代への継承を楽曲化した物であるのではなかろうか。

 敢えて片仮名で綴られ、そして発音も日本語として歌われている”セカンドバースデー”という箇所がキーワードであり、おっさんが高らかに曲として歌詞としてそう宣言出来る彼等の今に、殊更強く惹かれる理由が明確化されている様でもあった。参った。