年が変わると新しい年の目標を皆さんそれぞれ心に決めていることと思いますが、ぜひ加えて欲しいことの一つにヨガの哲学において重要な考え「非暴力(アヒムサ)」があります。

暴力なんて生活にないよ!と思う方が多いと思いますが、私たちは無意識で暴力的なことをしていることが案外多いのです。

2023年は非暴力(アヒムサ)を徹底することを心がけませんか?

ヨガにおいて「非暴力(アヒムサ)」とはなにを意味するのか?

『yoganess』より引用
(画像=『yoganess』より引用)

ヨガにおいて「非暴力(アヒムサ)」とは、ヨガの八支則(ヨガを習得するための8つの段階と行法を示したもの)のなかでも「ヤーマ(日常生活で慎むこと、禁戒)」のうちの第一に掲げられている大切な教えです。

具体的には「苦痛を人にも自分にも与えないこと」「体・心・言葉・態度の暴力を慎むこと」「ジャッジをすることを慎むこと」などが非暴力の具体的な内容で、「平和であること」ヨガを実践する上で何においても重要だと説いています。

さらに「非暴力を12年間徹すれば、すべての敵対が止む」「その人には敵がいなくなる」と説かれているのです。

あらゆる敵対がなくなり、自分の周りから一才の敵が存在しない世界なんて、とても素晴らしい世界だと思いませんか?

最強とは「戦わないこと」ですから、まさに最強の自分になれると言っても過言ではないでしょう。

無意識で暴力的になっていることが多い現代人

『yoganess』より引用
(画像=『yoganess』より引用)

他人を殴ったり蹴ったり、暴言を吐いたり、わかりやすい暴力行為をすれば警察沙汰になりますのでそんなことをしている人はほとんどいないでしょう。

しかし、私たちは日常生活で案外暴力的になっていることが多いのです。

しかも、それが無自覚であることが多いのが厄介です。

私たちがどんな場面で知らず知らずのうちに暴力的になっているのか、まずは大きく5つの場面を取り上げますので、心当たりがないか確認してみましょう。

SNSやメールなどのインターネットの世界

『yoganess』より引用
(画像=『yoganess』より引用)

最近はSNSでの誹謗中傷が話題になることが多いですが、SNSでの誹謗中傷は言うまでもなく「暴力」です。

言葉の暴力は肉体的な暴力以上に人の心身を傷つけます。

絶対に行うべきではありません。

SNSやニュース記事で自分とは考えや意見が異なる場合、いちいち反応する必要はあるでしょうか?

どうしてもする必要があれば、それは自分のフィールドでするべきで、相手のフィールドにわざわざ剣を振りかざしに行く必要はありません。例え相手が間違った発信や許せない発信をしていたとしても、それは本人の問題であり、それを目にした(読んだ)あなたには何の関係もないのです。

心が動いたり、イラッとすることはあっても、自分が感じたことは自分の中にとどめておき、暴力的な反応を仕返す必要はありません。

もしどうしても暴力的な反応をしたいのなら、それは自分のタイムラインなどで行い、自分の中で終わらせましょう。

パートナーや子どもなど近しい人との間柄

『yoganess』より引用
(画像=『yoganess』より引用)

暴力的な行為を働くとき、それは相手に許されると思っているか、相手を尊敬していないことがほとんどです。

パートナー間、親子間、上司から部下、先輩から後輩、友人間など、たいてい上下関係がある場所に暴力は存在します。

例えば、自分の所属している会社の社長に暴力的な言葉で自分の意見を言い返したりできるでしょうか?

世界的な著名人が目の前にいたとして、個人的にあなたはその人を好きではなかったとしても、その相手を睨んだり、無視したり、暴言を浴びせたりするでしょうか?

そういったことが実際にできてしまうのは、相手への尊敬が損なわれているからです。

おそらく、そういった暴力的な発言や行為をしても「こんなやつ、そうされて当然だ」とか「こいつにならしても許されるだろう」と甘えがあるのです。

私たちは身近にいる人に甘えがちで、尊敬を忘れてしまいます。

すると家族や友達のような親しい人の方に不機嫌な態度を示す、声を荒げる、命令する、お礼を伝えないとなりがちです。

これらの態度も全て暴力です。

人間以外のあらゆる物事

『yoganess』より引用
(画像=『yoganess』より引用)

動物や植物くらいまでなら思いやりを持って接することができる人が多いですが、物質的な物には思いやりを忘れてしまう人が案外多いです。

ドアをバタンと閉める。物を投げて渡す。靴を揃えない。片付けない。汚れていても気にしない。まだ使えるのに捨てる。こういった行為は物に対する暴力です。

「物にも神様が宿る」という概念は日本人には比較的馴染みがありますが、欧米にはあまりないとされ、それがあらゆるものの大量生産大量破棄に繋がっていると指摘する研究者もいます。

日本では茶道や華道、剣道や弓道など「道」がつくものでは特にその道具を大切に扱うことも説かれ、それを作る人にまで敬意を持ち続けることを学びます。

しかし物質的に豊かになりすぎた現在の日本では「物にも神様が宿る」を知らない人も多く、物に対して暴力的な行為を働いていることが案外多いのです。