◆美しさが限界突破する
現実の八木に対して美を感じるように、ドラマ内では、もうひとりの主人公・平一成(萩原利久)が清居をギリシアの神々にたとえながら崇めている。高校生のとき、直感的に清居に魅了されて以来、平が人生を捧げて信仰を続ける一方的な片思いが、シーズン1から2にかけて描かれた。ドラマから『美しい彼~eternal~』へ清居の美しさは、過激さを増す。
映画冒頭、いきなり超ド級の美的映像からはじまる。裸で寝床をともにする平と清居が映る。ひとり目を開けた平のモノローグによって、ドラマ版から続く清居への信仰心が語られる。カメラがすぐに清居の寝顔を捉える。あの色っぽいベイビーフェイスな八木君の顔を見て、思わずハッとする。がっちりしている肉体とのギャップに萌えてしまうのをどうか許してほしい(平のように平謝り)。
この場面では、清居の美しさが、ヴェールを脱ぐように丁寧に描かれる。さらに平と清居がはじめて同じ湯船につかる場面では、その美しさが限界突破する。清居への強い欲望をむき出しにする平が、後ろから清居の顔をつかんで撫で回す。風呂場で身悶えする清居の表情は、もはや犯罪的な美しさだ。