【プロフィール】

大熊あつ子 Atsuko Okuma

数々の出版翻訳の実績がある大熊あつこさん。昨年8月には訳書『天才 ~その「隠れた習慣」を解き明かす~』が発売されました。出版翻訳の合間に産業翻訳の依頼もこなすパワフルな大熊さんに、翻訳部ディレクター・松本がインタビューしました。

翻訳者はリサーチの天才!?
(画像=『HiCareer』より引用)

翻訳者になったきっかけ
ジャズに触れながら育った子供時代

松本: 現在、翻訳者という言語を武器としてお仕事をされていますが、言語に興味を持った一番初めのきっかけや思い出などはありますか?

大熊:私の両親は日本にジャズが入ってきてブームになった時代のジャズミュージシャンでした。そのため、家ではずっと洋楽が流れていて、中学くらいから、洋楽やロックにどんどんはまっていきました。

あと、本が好きで結構読んでいましたね。

大学は理系に進んでエンジニアになりましたが、別の仕事をしたいと思ったとき、子供のころから馴染みがある、洋楽と本というのが、翻訳者になった背景としてあると思います。

松本:学生時代英語は得意な方でしたか?

大熊:それが実は苦手でした。英語は好きだったけど成績は良くなくて、苦手だから理科系に進んだような人間です。

松本:なかなか聞かないお話ですね!英語が得意だから通翻訳の道に進まれる方も多いので、珍しいと思います!

大熊:学校時代に、英語の歌詞を自分で日本語に訳して遊んでいました。高校の音楽のテストで、教科書の曲に限らず、ギターでもいいし、歌ってもいいし、合唱でも何を使って表現をしてもいいという課題で、ビートルズの有名な「Let it be」を、ピアノの弾き語りで、1番を英語で、2番を日本語に訳して歌ったところ、すごく高い点数をもらえました!(笑)

松本:面白いですね!Let it be は何て訳されたのですか?

大熊:サビの部分は、「今は何も考えず時の流れに身をまかせよう」と訳しました。

松本:私も洋楽が好きで、特にエド・シーランが好きでよく聴いています。ネットで歌詞を検索すると、誰かが訳した和訳も見ることが出来るのですが、訳によって語調や雰囲気が全然違いますよね。私は英語のまま受け取って訳そうとは思わないのですが、なぜ訳したいと思ったのですか?

大熊:やはりプロのジャズシンガーである母の影響があるかもしれないですね。当時、江利チエミさんとかいろいろなシンガーが出てこられて、英語の歌詞を部分的に日本語に訳して歌っていました。それを真似したのが高校時代の「Let it be」ですね。英語の方が耳馴染みが良くて好きですが、時々日本語に訳してみたくなるというか。

松本:確かに、日本文化に落とし込んだらどのような表現になるか?興味深くはありますよね。

翻訳の道へ
舞台で日本語訳に挑戦

松本:実際に翻訳の道を歩むことになったきっかけはありますか?

大熊:私はずっとジャズダンスを習っていました。ちょうどエンジニアを辞めようかと考えていたところ、インストラクターが関西弁ペラペラなアメリカ人で、自分の書いた脚本で舞台作りを希望していました。

でもさすがに日本語で全部書くのは難しいので、そこで、私に英語から日本語に訳せないか?と言われて、豚がおだてられて木に登るという感じで、トライしてみました。

翻訳者はリサーチの天才!?
(画像=『HiCareer』より引用)

その後翻訳学校へ

大熊:その後、翻訳の仕事を考え始めましたが、何も勉強していなかったので、エンジニアの仕事をつづけながら、翻訳スクールへ行くことから始めました。産業翻訳や、文芸翻訳を学びました。

松本:翻訳スクールに通い始めてからはどのくらいでお仕事を頂けるようになったのですか?

大熊:スクールへは4~5年通いました。優秀者へはお仕事を紹介しますというのが謳い文句でしたが、頑張って上級クラスに上がっても、学校で紹介できるお仕事の量も減っていたようで、良い先生もだんだん少なくなり、紹介してもらえるお仕事がない状態でした。

スクールの先生は辞めてしまっていましたが、長くお世話になった先生に相談したところ、IT系のWebニュースの翻訳を紹介されました。

トライアルを受けてみて、これダメかな?と思ったのですが、調べたり、裏付けをとったりといったことがトライアルの段階でできていて、文章的にはいまいちな点や、誤訳もありましましたが採用されました。

私は理系なので、調べたり裏付けを取ったりというのが身についていたという点が評価されたようです。

産業翻訳よりも文芸翻訳をやりたいという思いもあったのですが、Webニュースであれば文芸翻訳に近いとも言われしばらく頑張っていました。ただ、Webニュースの翻訳もだんだんお仕事が減ってきて、これでは食べていくのはしんどいなと感じて、産業翻訳だの文芸翻訳だの言っていられないと思い産業翻訳を専門とされている翻訳エージェント様のトライアルを受けるようにしました。

コンピュータプログラムを訳したり、契約書を訳したり、特許を訳したりするのだと、一言一句マニュアル化されているような感じなので、書籍の文芸翻訳とはずいぶん違うかとは思います。

でもファッションブランドであれば読みやすい文章、綺麗な文章やクライアントさんに合った文章が求められるので、ユーザーに合った文章を書くという意味では、文芸翻訳と、産業翻訳の違いを感じませんでした。

出版翻訳の世界へ

松本:最初にお仕事としての出版翻訳との関わりはいつでしたか?

大熊:お仕事の幅を広げていきたいと思っていた時期ですね。出版翻訳の前にリーディングの仕事をしていました。リーディングとは、出版社さんがこの本を出版してみようかなという原書を編集さんがいちいち全部読んで判断するわけにもいかないので、翻訳者さんにこれを読んでレポートを提出してくださいという依頼のことです。そのレポートが、その本を出版するかどうかを検討するための基礎資料になります。

量としては大体A4で3枚~6枚程度のレジュメにまとめます。作成期間は大体1週間から10日くらいですね。

松本:リーディングのお仕事はどのくらいの単価になるのですか?

大熊:謝礼程度ですね。

松本:出版社からすると次のプロジェクトになるかどうか分からないから、そんなに出せないですもんね。

大熊:ただ謝礼程度ではあるのですが、編集さんは経験を積んでいらっしゃいますので、リーディングの書き方やまとめ方で、大体翻訳者の実力も見えたりします。

リーディングをやっただけで、他の翻訳者さんに振られることもないとは言えませんが、そのまま翻訳者になるケースも多いです。

私の場合は、何冊か実績もあるので、リーディングお願いしますと言われそれが出版となったら多分もらえると思います。

松本:出版翻訳で南沢さん名義(大熊さんのペンネーム:南沢篤花)での最初のお仕事はなんですか?

大熊:『ソロモン王と聖なる天使たち』です。

出版社さんが抱えていた翻訳者さんが忙しくて対応できないということで、別の人を探していて、全然お付き合いのない出版社さんだったんですけど、突然連絡が来ました。

ネットで翻訳者ディレクトリというサイトに登録していて、書籍のリーディングの経験をプロフィールに書いていたら検索でヒットしたらしいです。数人に声をかけていたと思います。

リーディングはありますが、翻訳自体の経験はありませんでした。

まずは参考までにということで、原稿が添付ファイルで送られてきたのですが、勘違いして必須ではなかった試訳を提出したところ、出版社さんに評価されて選ばれました。

松本:翻訳でフリーになられて何年目の話でしたか?

大熊:翻訳をフリーで始めて10年くらいは経っていました。

翻訳者はリサーチの天才!?
(画像=『HiCareer』より引用)

出版翻訳の全体的なフローについて

松本:出版翻訳の全体的なフローを教えてください。

大熊:初めての出版社さんであったら、編集者さんにまず1章の試訳を出します。そして、トーン、重さや言葉遣いのすり合わせをします。何度かお仕事している編集者さんでしたら試訳はないです。章ごとに区切って提出することもありますね。

私としては全部最後まで訳して提出の方が良いですね。最後まで訳してから前後のつながりが分かることがあり、最初に戻って修正が必要な場合もあるからです。

松本:我々産業翻訳の世界では、翻訳者さんとチェッカーさんが確定させた訳文をコーディネーターが変えることってほぼほぼ全くないのですが、出版翻訳では編集者さんが変えることがあるのでしょうか?

大熊:十人十色だと思います。かなり赤を入れる編集者もいたり、代わりの表現を提案してくる方もいたり。

松本:ではもう二人三脚だから相性が合わないと大変そうですね。編集者さんとの相性はどう感じますか?

編集者さんが変えた文章の方が、自分としてもこっちの方がいいなと思うこともあれば、なんでこんな風に変えたのだろうと思うときもあると思うのですが。

大熊:明確な理由があればそれを添えて、ここの部分を踏まえているからこの表現にしているから変えないでほしいということを伝えますね。

赤入れまくっているうちに、こんがらがっちゃって主従が繋がらなくなったり、修正しているうちに意味が真逆になったりみたいなこともありますね。

松本:出版翻訳の仕事を受けているときはほかのお仕事はどうされているのですか?

大熊:出版翻訳のお仕事をお受けしている2か月は、一般的には他のお仕事を受けられない状況になります。出版翻訳の友人で産業翻訳なんてもうできないよという方の大半は、その間お仕事に没頭しちゃって、他のお仕事ができないことが原因だと思います。

出版翻訳はギャラ的にも食べていくのが難しい世界です。だから多くの方はパートナーがいる共働きの方ではないでしょうか。自分一人で食い扶持を稼がなくてはいけないという方は少ないです。

私自身今は結婚していますが、当時は独身だったので、生活費を稼がなくてはいけませんでした。

出版翻訳は、スパンが長く、2か月で翻訳を仕上げて、編集さんが赤入れし、修正するのが数回あって、印刷に回して出版させるので、余裕で半年ぐらいかかるんです。その後2か月後くらいにギャラが入るので、経済的にしんどいです。

そのため出版翻訳のお仕事を引き受けて、その合間に産業翻訳をやっていました。

松本:出版翻訳では、出版後の印税も入るのですか?

大熊:買い取りもたまにありますが、やはり印税方式の方が多いと思います。

松本:初めてご自身のお名前が本に出た時はどんなお気持ちでした?

大熊:それはもう天にも昇る気持ちでした。出版翻訳のお仕事が来るとき、慶應義塾大学の通信教育課程で卒論を書くタイミングでした。その時に出版翻訳のお仕事の依頼が来て、卒論はダメでもまた再度チャンスはあるけれど、書籍はこのチャンス逃したらもう2度とないだろうなと思い頑張りました。

松本:書籍1冊でどのくらいで書き上げるのですか?

大熊:2か月くらいですね。ノンフィクション系の方がリサーチの量が膨大で時間が掛かります。

松本:書籍翻訳の本が書店に並んでいるときはどう感じましたか?

大熊:感動しました。ペンネームとはいえ自分の名前が書店に並んでいるというのが。

翻訳者はリサーチの天才!?
(画像=『HiCareer』より引用)