大悟の「手応えがない」は褒め言葉

――『ヤギと大悟』には、いつも後半からゲストの方が合流しますよね。ただ、SNSでは「本当はゲストはいらなくて、ポポと大悟のツーショットでいいのに……」という声もチラホラあります。今後、レギュラー化されるなかで、ポポと大悟さんだけでロケをする可能性はあるでしょうか?

冨田:自分としては、いろんな側面があっていい番組だと思っています。ゲストが来たときは、普段、ドラマやバラエティで百戦錬磨の人たちが、この空間に入ったとき「どうすれば正解なのか?」と手応えを感じられずに焦る感じがおもしろいんです。三宅健さんも佐藤隆太さんも、井ノ原快彦さんも野村周平さんも、みんな「これで、本当にいいんですか? もうロケ終わっちゃいました?」と戸惑われていて(笑)。今までは皆さん、ファンの方々を楽しませたりすることで手応えを感じていたと思うのですが、それがこの番組にはあまりないので。そういう姿を見せられるのも、『ヤギと大悟』のいいところなのかなと思っています。普段、見られない姿を見てもらえるというか。

――『ヤギと大悟』を見て、タレントさんにとっての「手応え」について深く考えました。第2弾では、大悟さんもロケ中に「手応えなんてある訳ねぇ」とおっしゃっていました。今のテレビで言うところの「手応え」とは、なんなのか。プレイヤーの方々は、「落とした」とか「笑いを起こした」とか、そういうことを実感できれば、手応えを感じやすいと思うのですけど。

冨田:番組としては、やはりヤギが主役という考えなので、撮れ高の基準はヤギです。ベースにあるのは「雑草に困った人を助けにいく」なので、ポポが訪れた先でみんなが笑ってくれたり、ポポがお腹いっぱい草を食べられたり、そこが番組としての手応えです。

 そして、きっと大悟さんにとってもベースはそこです。「ポポが活躍して、いろんな人が喜んでくれた」が、大悟さんのなかの手応え。だから、第3弾で保育園に寄ったとき、ポポが子どもたちにすごく人気で、一方の大悟さんはブランコでほったらかしにされて、大悟さん的に別に手応えはないじゃないですか。だけど、ベースにある主人公がちゃんと活躍していたら、これは大悟さん的には撮れ高なんです。大悟さんご自身は、この番組では自分が笑いを起こしてどうなったとか、そこに手応えの価値はあまり求めてないかなと思います。