戦慄かなのの学歴と生活
続いて、戦慄かなのさんの学歴や壮絶な学生生活の様子を紹介します。冒頭でも説明した通り、幼少期から家が落ち着く場所ではなかったので、戦慄かなのさんの居場所はどこにもありませんでした。どのような学生生活を送って来たのか、深堀していくので、ぜひご覧ください。
戦慄かなのの中学時代
戦慄かなのさんが中学生になると、唯一の救いだった父親も家を出てしまい、最悪な母親と妹の三人暮らしをしていました。母親は朝仕事に行くと、夜は彼氏と遊んでから帰宅する生活をしており、まともな夕飯など出されたことがないようです。
また、母親の育児放棄はエスカレートしていき、遂にごはんを作ることを辞めると、少ないお金を二人の娘に渡し、「それで買って食べて」と言うようになります。毎日、外食できるような金額は渡されず、戦慄かなのさんと妹は、ガムやミンティア、グミで飢えをしのぎ、時には栄養失調で倒れることもありました。
さらに、母親はたまにしか家に帰ってこなくなります。その為、ごはんもなくお風呂にも入る気力のない戦慄かなのさんは学校で、「汚い」といじめられ、美術室の窓から飛び降り自殺を図りました。
不幸中の幸いで怪我だけで済んだようですが、そこまでの思いをしても、たまに帰ってくる母親の顔を見ると、うれし涙を流していたと語ります。
戦慄かなのの高校時代
中学の終わりから万引きや出会い系で詐欺に手を出し、悪い仲間とつるむようになりました。高校には進学したものの、ニュースで流れていた「JKビジネス」を見て、戦慄かなのさん考案のJKビジネスにまで手を出してしまったのです。
しかし、年頃の女子たちだけでは上手く行くわけもなく、仲間内で揉めると、警察に犯行がバレてしまい少年院へ行くことになりました。
戦慄かなのの大学はどこ?
一般的では10ヶ月ほどで出てこられる少年院ですが、戦慄かなのさんは反抗的な態度を繰り返し、1年8ヶ月も少年院にいました。少年院で人生で初めて温かい大人にサポートしてもらったことで、更生した戦慄かなのさんは少年院を上がると、大学の法学部を受験し、見事合格したのです。
法学部を受けた理由は、少年院で出会った法務教官がどれだけ暴れても助けを呼ばず1対1で向き合ってくれたことに感銘を受け、自身も法務教官になりたいと思うようになったことがきっかけだと明かしています。