社会人になってからめっきり読書をする機会が減ってしまったという人も、ビジネス書ばかり読んでいるというリアリストも、「哲学の世界」に触れてみると意外と共感を覚えることが多いはずです。一般的には哲学というとなんとなく敷居が高いイメージがありますよね。もちろん専門の研究者が一生をかけても解けない謎にあふれているのも事実です。けれども過去の偉大な哲学者の「ものの見方」を知ることは、普段の生活をより豊かにしたり、ときにはビジネスに応用できたりすることがあります。今回は哲学の歴史や、著名な哲学者とその考え方などについてご紹介します!
哲学とは知を愛すること
哲学は英語で「フィロソフィー」、ギリシャ語で「フィロソフィア」と言い、フィロは「愛する」、ソフィアは「知」、つまり哲学とは「知を愛すること」なんです。何かを知りたいという欲求は誰しもが持っている自然なものです。つまり、もしあなたが知ることを楽しんでいるのであれば、それは哲学をしていることと同じなのです。
偉大な哲学者の一人に、古代ギリシャで活躍したソクラテスがいます。彼の考え方を要約した言葉に「無知の知」というものがあります。
世の中で知者とされる人々は、本当は知らないことがあるにもかかわらず、あたかも自分がすべてを知っているかのように振る舞っていました。それに対してソクラテスは、まずは自分の無知を自覚することが出発点になるのだと説きました。
実はソクラテスの著書は一冊も残されていません。あるのは彼の弟子であるプラトンがソクラテスについて執筆したもののみ。この世は仮象の世界であり、人間の感覚を超えた理想の世界にこそ真実があるという「イデア論」で知られるプラトンですが、面白いことに彼が残した著作はどれも対談形式になっています。
そのため、哲学の難解なイメージとは裏腹にスラスラと読むことができ、哲学書が初めての方にも向いています。
哲学の歴史を覆した三人
哲学の歴史が大きく変化したのは19世紀後半から20世紀前半にかけてのことでした。その立役者は三人いました。ニーチェ、マルクス、フロイトです。三人とも主にドイツとその近隣の国家で活躍しました。
作曲家の顔もあるニーチェは、それまでの哲学の歴史では「理性的生物」だとされてきた人間を、恨みなどの負の感情に突き動かされていると喝破しました。さらに「神は死んだ」と主張し、プラトン以来続いてきた「理想の世界にこそ真実がある」という考え方を覆し、現にいま生きている人間の生活を重視する思想を打ち出しました。
共産主義運動とも紐づけられることのあるマルクスは、たしかに彼自身『共産党宣言』という著書を刊行しているものの、その考え方はいたってシンプルかつ納得のいくものです。彼は政治や文化、宗教などの上部構造は、経済という下部構造によって規定されると言います。つまりお金がなければ遊ぶこともできないという、至極まっとうな意見です。
精神分析医のフロイトは、人間は自分では把握できないような無意識によって規定されていると言いました。自分のことは自分が一番よくわかっているつもりでも、たとえば階段を上るときに身体のどの関節や筋肉を用いているのか、すべて考えてから動かそうとしたら、とたんにわからなくなるはずです。無意識的な動作なくして日常生活は送れないのです。
東洋哲学の世界
これまで紹介した哲学者たちは、あくまでも西洋の歴史のなかで活躍した人物です。それに対して、「知ることの楽しさ」は西洋や東洋といった地域に関係なく、人間誰しもが感じるものです。そのため当然ながら東洋には東洋の哲学の歴史があります。
東洋でいまも語り継がれている哲学者の一人に、道教の創始者としても知られる老子がいます。二千年以上前、中国・春秋時代に活躍した老子は、たとえば「生きることに執着すれば、かえって死を招いてしまう」と説きました。それは生きることだけでなく、物事に執着することをやめれば別の見方が思い浮かぶ、と言い換えることもできるのではないでしょうか。
同じく中国の春秋時代に活躍した、儒教の始祖である孔子も偉大な東洋の哲学者です。とりわけ彼の教えが記された『論語』には、仁愛を尊ぶという、当たり前だけれども見過ごされがちな倫理観がつづられています。モラルの向上が重要視される現代社会において、人間関係の基本を見直すためにも孔子の教えが必要であることは違いありません。