よく考えれば、実際の社会もそうかもしれない。権力があるからこそ戦争や紛争を起こしたりするわけだ。さらに今作で起こる事件の事の発端もシャザム側にあるのだから、群衆はもはやモブでしかなく、力を持った者の下で踊らされているに過ぎない。

 これはマーベルの作品においても最近になって多くなってきた描き方で、例えば『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(21)や『アントマン&ワスプ:クアントマニア』(23)のように、自ら招いた惨事を自ら解決しているだけのような物語が増えてきているのだ。

 もともとマーベルもDCもコミックの段階から、正義と悪の線引きが難しいという描き方をしていて、それが多くのファンを獲得してきた要素のひとつだからこそ、映画やドラマにも当然のごとく持ち込んだわけだ。ただ、作品が多くなり過ぎたことでプロットのパターンとしてマンネリ化して、もはや何をどうするべきなのかというほどにテーマ性を見失っているようにも思えてしまうのだ。