こなれた訳文にする上で翻訳者がぶつかるジレンマをどう克服すればいいかについて、今回は私の既刊訳書から実例を挙げて考えてみます。取り上げるのは私が若かりし頃翻訳出版した『人生の処方箋』で、原書はポール・キーナンという神父さんが書いたGood News for Bad Daysです。
当時の私はすでに単独訳の翻訳書を10冊以上出版していた“独り立ちした翻訳家”でした。しかし、いま“編集部に最初に出した訳文”を見直してみると、かなりぎこちない訳文になっているのに気づかされます。独り立ちした翻訳家としては、ほぼ修正する必要の無い翻訳文を編集部に出すのが理想的といえますが、この本に関しては、恥ずかしいほど編集者に再検討を求められています。ほかの本でそこまで再検討を求められたことはありませんでしたが、英語として読めばスッと理解できても、日本語にするとぎこちなくなる抽象的な概念をたくさん扱った本だったのが原因だろうと思います。そのような本は要注意です。自分では良く訳したつもりでも、読者は良い訳だと思ってくれないからです。
それではさっそく例を見てみましょう。
この本は、ある青年社長の嘆きの言葉から始まっています。特に2つめの文のlifeをどう訳すかに気をつけて訳してみましょう。
I have all this success. What I don’t have is a life!
まず直訳してみましょう。
直訳:「私はこの成功をすべてもっている。私がもっていないのは人生である」
この訳だと英文和訳としてはかろうじて合格点がもらえるかもしれませんが、これでは翻訳とは言いがたいです。というのも、とても不自然な日本語になっているからです。これほど不自然な日本語だと読者に読んでもらえなくなる可能性が高いです。「もっていないのは人生」というのはさすがに日本語としておかしいですよね。
ちなみに私が編集部に最初に出したのが次の訳文です。
宮崎の修正前の訳:「私は何もかもがうまくいっている。だけど生きた感じがしないんだ」
自分としては知恵をしぼって訳したつもりでしたが、編集部から「だけど生きた感じがしないんだ」の箇所の修正を求められました。たしかに「生きた感じがしない」というのは言い過ぎかもしれないと思い直し、以下のように修正しました。
宮崎の修正後の訳:「私は何もかもがうまくいっている。だけど生きているという実感がないんだ」
これでゴーサインが出ました。この例の中のI don’t have is a life! のように英語では簡単で分かりやすい文であっても、直訳すると日本語として不自然になるという場合がありますが、それをどれだけ自然な日本語にできるかが翻訳家の腕の見せ所といえます。