「音楽業界の描き方も含め、全体的に“時代が平成初期で止まっているのでは”などとツッコまれてますね。[Alexandros]の川上洋平演じるニューヨーク在住の爽介が東京で結婚相手を探すことを『嫁を調達する』と表現していたことも、古臭いと言われています。翌日会う約束をしているというのに名前だけ教え合って連絡先は交換しないというのも、“運命の出会い”を大切にする北川センセイの美学に反するからでしょう。また、空豆の方言も違和感があるという声が多数上がってますね。出身地ははっきり明言されてないものの、『ばーちゃん長崎で、じーちゃんが宮崎で、おいの言葉は長崎と宮崎のチャンポンさ』というセリフがありましたが、熊本や鹿児島など九州のいろんな言葉が混ざっていると指摘されており、“オリジナル方言”などとも呼ばれています。まぁ北川氏も『空豆語』だと割り切って観てほしいと言っているようですが……」(芸能記者)
「九州の片田舎」出身という空豆の描き方については、批判の声も少なくないという。
「一応、〈九州の片田舎でのびのび育った野生児のような女の子。その野生児っぷりに「猿」や「猪」と呼ばれる〉と説明されていますが、公園の噴水でいきなり顔を洗ったりするのは“おてんば”という範疇を超えていて、ただの非常識。宮崎などの九州出身の視聴者からは、方言が変という指摘とともに、『田舎をバカにしている感じがする』『九州は田舎だけど噴水で顔洗わんよ。バカにしすぎ』『どんなに九州のド田舎でも、いまどき一人称「おい」の女子はいない』『ドラマとはいえ、宮崎県民のことあまりにも世間知らずの田舎者扱いしすぎでは』『北川悦吏子は九州を敵に回したいの?』など、非難ごうごうです。そもそも実際の空豆はヨルシカの曲を婚約者の着信音に設定するなどスマートフォンを使いこなしたり、ボカロPも好きという側面があるのに、場面によって急にものを知らない“田舎者”感が出てきたりするのは不自然なんですよね。“北川節”のキャラクターを無理やり現代的にしようとしてこうなったのでしょうか」(同)