秋元の卒業は、これまでの1期生の卒業とはまた趣を異にするものだ。というのも、グループを背負ってきたキャプテンであること、そして1期生最後のメンバーだったこともあり、おおげさに言えば乃木坂46というグループの歴史のひとつの終わりを意味しているのだから。もともと乃木坂46は、AKB48の公式ライバルというカウンターカルチャーからスタートしたグループで、その後は独自のコンセプトを模索しつつも、次第に“乃木坂46らしさ”を確立し、トップアイドルにまで上り詰めた。その中心にいたのは秋元を含む1期生だった。

 秋元は2011年、乃木坂46の1期生オーディションに合格し、暫定選抜メンバーにも選ばれるなど加入当初から存在感を発揮。しかし、当時通っていた高校から芸能活動の許可が出なかったことに加えて、父親からの反対もあり、高校卒業まで活動を休止することになった。同期のメンバーたちがレッスンを重ねて、アイドルとして成長していく中で、秋元はひとりだけ出遅れてしまったことに悩んでいた。

 20年に発表した2nd写真集 『しあわせにしたい』(竹書房)では、「途中から乃木坂46に入って、猛スピードで進んでいくグループに、私もみんなと同じように衣装やメイクは揃えてもらっているのに、スキルがついていってない自分に焦ってしまって辛かったです」と当時を振り返っていた。

 そんな秋元は、12年にリリースされた4thシングル『制服のマネキン』にて初の選抜メンバーに。その中でも、メディアへの露出も多い「八福神」に抜擢。活動を再開したばかりの秋元にとってグループの中心に置かれること、それは葛藤を伴うものだった。