冒頭に戻ると昨年の全ツファイナルからもそらまあ大きな大きな事態が立て続けにグループに起こった。皆まで言うななお話ではあるが昨年末の齋藤飛鳥卒業により1期生も秋元真夏1人になり、そんな秋元真夏も今バスラ最終日で卒業、続けて先日発表があった通り最後の2期生鈴木絢音も3月28日のセレモニーをもってグループを卒業、今後は3期、4期、5期のみのメンバー構成でもってグループの活動が存続されていく訳であるのだが、知れば知るほど推せば推すほど最早そこに至る1幕1幕のドラマ性が高すぎて、眼前で繰り広げられる上記先輩からのバトンの継承が勝手に重厚で壮大なマフィア、ヤクザ映画の先代と盃を酌み交わす画に脳内変換され、それは言わば民族その他の社会集団(乃木坂46)の歴史的事件(世界エンタメ史で他に類を見ない”アイドル・乃木坂46″という文化史的事件)、ことに英雄(メンバー)の事跡を客観的に述べた韻文の作品(コトバンクからの引用で括弧の中身はおっさんのこじつけです)。
即ち叙事詩が眼前で現実に繰り広げられているかの様な心持ちになるからおっさんは推すし泣くのだよ。
もう一度言う。
“叙事詩”が”眼前”で”現実”に繰り広げられるもんだからおっさんは(ry
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