◆“清居沼”に両足ともずぼずぼ

©「美しい彼」製作委員会 S2・MBS
 本作を見る視聴者は、まさに平良の“清い”目線をフィルターとして通すことで、清居を見つめることができる。ここに「見る=見られる」の構図で成り立つ本作の圧倒的な勝算があるのだけれど、水浴びのあとの場面がこれまた象徴的。

 束の間の水浴びで心を通わせたあと、平良の家で残っていた花火をひとりで楽しむ清居が「花火嫌いなの?」と聞く。平良は「花火より好きなものがあるから」と答える。ここでさっそく平良目線のフィルターを強めてみる。奥ゆかしくかがんで線香花火を見つめる清居を平良のように「ただ見つめることしかできない」視聴者だって思わずとろんとした眼差しで「はい、それはあなたのことです」と即答できる。これは沼だ。とても深い“清居沼”に両足ともずぼずぼなのだ。

 ということで問い直そう。私たちは『美しい彼』の清居奏にどうしてこんなに虜(とりこ)なんだろう?