他人の寿司を横取りするという行動は何も面白くなく、悪ふざけだとしてもセンスが無い。そもそも「面白さ」を共感させようとしたときに、見た人が「面白い」と思うのが大前提である。悪ふざけをしている本人だけが面白いと思う行動は、マスターベーションと同じで自己満足することが目的で、決して「面白い」ものではないのだ。

 それを考えると「バカッター」の人たちは「面白い」と思われたいのでなく、「こんなことが出来る俺は凄いだろ」というねじ曲がった「承認欲求」といったところだろう。

 現代において「承認欲求」という言葉は比較的悪い意味で使われることが多いが、実際はさまざまな動機を達成するための力になるものだ。他人に認められたいが、努力をせず楽に認められたいという気持ちが現代の「承認欲求」の形を作ってしまったのだろう。

 このねじ曲がった「承認欲求」を正当化する為に「面白い」という言葉を使っているのだろうが、人を笑わせたり楽しませたりする為の「面白い」はそんな簡単には出来ないものなのだ。