2016年から17年頃は、東京や沖縄を転々とし、大阪市東淀川区に知人と一緒にバーをオープンさせたのは2019年12月だったという。

「一時間ちょっといて二万円のぼったくりバー。寺内は雇われ店長だったけど、数カ月で店は潰れてしまった」(他の飲食店経営者)

 周囲に「人生をやり直す」といって、縁もゆかりもない九州へ飛び立ち、鹿児島や熊本を経て、福岡の地に足を踏み入れたのは約1年前だったそうである。

 そして昨年春、川野美樹と知り合い、交際を始めたというのだ。男と女というものは不思議なものだ。寺内のどこに彼女は惹かれたのだろう。

だが寺内はだんだん彼女を束縛していく。寺内の言動に危険を感じた彼女が、初めて福岡県警に相談に行ったのは昨年の10月21日のことだったそうだ。

「携帯電話を盗られた。相手とも別れたい」

 切羽詰まった様子で被害を訴え、その翌日、寺内に別れを告げたという。だが寺内は、「自分は別れていない。許さんぞ」と繰り返した。

 10月24日に警察から警告を受け、それでも、寺内が彼女の職場に押しかけたり、電話をしたり、付きまといを行為を止めなかったため、11月26日に春日署はストーカー規制法に基づく禁止命令を出した。

 最近、勤務先の人材派遣会社で昇進が決まり、彼女は喜んでいたそうだ。11歳になった娘を絵画教室に送り迎えする姿は、幸せそのものに見えたという。

 だがその幸せを、寺内の刃渡り20センチの刃物が切り裂いてしまったのである。

 周囲を明るく照らす太陽のようだった彼女は、生きていれば39歳の誕生日だった日に、親しい友人らに囲まれて荼毘に付された。

 だが、ここで文春が触れていない警察の責任について考えてみたい。

 ストーカー法ができたのは2000年。知られているように、樋川の女子大生殺人事件を追いかけていた写真週刊誌FOCUSの清水潔記者が、事件の真犯人を突き止め、警察が極めてずさんな対応をしていたことも暴いて、警察に対する世間の信頼は地に堕ちた。

 そのような事件が起きないようにと、ストーカー規制法が成立したのだが、それが十分に機能しているとはいい難い。

 この事件が起きるまでも、いくつものストーカーによる殺人事件は起きている。

 今回も、川野美樹の悲鳴のような訴えを、警察はどこまで本気で聴き、対応していたのだろう。

 寺内に対する警告と、時折の巡回でなんとかなると考えていたのではないのか。もしそうだとしたら、甘かったというしかない。

 文春が報じているように、寺内という男は暴力を振るう癖があり、付き合った女性を異常なまでに束縛するタイプである。それに、文春がいっていることが事実であれば、逮捕歴もある。

 幼い娘もいるのだから、もっと親身になって、万が一が起こらないようにできなかったのか。こうした事件が起きると、警察の対応は十分だったのかという疑問が必ず出てくる。

 もし、今のストーカー法で、被害者を守れないのだとしたら、法律をきめ細かく改正して、被害者を絶対出さないという「最低限」のことはできるようにするべきではないか。

 両親のDVで殺される子どもがいる。今の法律で子どもを守れないのなら、どうしたら守れるのか、どういう法律にしたら被害を受ける子供を助けられるのか、即刻考えるべきだ。だが、この国の人間もメディアも、事件が起きた時は大騒ぎするが、しばらくすると何もなかったかのように忘れ去って、顧みることがない。

 この記事を読みながら、怒りがわいてきて仕方がなかった。