寺内は1991年8月生まれ。大阪市福島区で、父親が働く運輸会社の寮で育った。
母親はラウンジで働いていて夜いない。父親もほとんど家にいなかったそうだ。
そんな寺内が中学進級後に変わってきたという。
「友達の家で突然キレて物を投げたり、どついたりして喧嘩を始める。中学はお弁当だったけど、彼はいつもファミリーマートのおにぎり。部活はしていなかったが、ボクシングを習っていた」(学校関係者)
目が合っただけで殴られた生徒もいた。日に日に暴力沙汰を起こす寺内は、教師にも牙をむいた。
「ボクシングの強豪校に推薦が決まっていたけど、教頭先生を殴って推薦が飛んだんですわ。学校が被害届を出し、更生施設送りになったと校内で噂が立った。実際、三年生の大半は学校に来ていなかった」(同)
地元の高校に進むも中退した寺内は、大阪市中央卸売市場に勤め始めるが、祭りですれ違った同級生に対して、
「お前、金持ってるか。俺のバックには神戸の山健組がいとるんや」
と凄んだという。
十代の頃に一緒に過ごした地元の知人がこういっている。
「気分の浮き沈みが激しく、定期的に『死にたい』と病むことがあった。理解力に乏しく、冗談が通じない。年をとってみんな大人になっていったけど、彼はずっと子供のままやった」
髪を金色に染め、バラのタトゥーを右胸に刻んだそうだ。
その後、どっぷり夜の世界に浸かっていった。
「十三年、大坂のショーパブ『K』に二十歳そこそこの寺内が入店してきた。すると直後、酔って先輩従業員に暴行したのです。警察沙汰にはしなかったものの、本社のある東京で教育し直すことに。ところが、指導を厳しく感じたのか、あいつは二~三カ月で飛んでしまった」(元同店経営者)
逃げるように大坂に舞い戻った寺内は様々な飲食店を渡り歩いたという。
2015年3月、窃盗容疑で大阪府警に逮捕される。そんな寺内を拾ったのは兵庫県内のキャバクラだった。
黒服として働いていたが、見かけによらずにレディファーストだったという。女性に一途で、高級バッグをプレゼントしたりしていたそうだが、信じられないほど幼稚な面があったという。
当時の交際相手はこう語っている。
「束縛が激しく、携帯を盗み見るなんて日常。友達と遊びに行くときは、いつでも連絡できるようにしておかないと彼は怒り狂うから、遊びにも行けへんかった」
その過度な束縛癖がために、彼女は警察に相談に行ったという。
別れた後も、勝手に家に来て、「別れてない」としつこくいい続けたそうだ。