法や社会のシステムが、結果的に性暴力の加害者を守っているという真実にぶち当たり、闘うことに疲れてしまった人たちもいて、今作の主人公でキャリー・マリガン演じるミーガン・トゥーイーも、当初はそのひとりであった。
ジャーナリズム魂を賭けて暴いたはずのトランプの性暴力が闇に埋もれてしまったのだから無理もないだろう。しかし、逆にそんな理不尽な現状に立ち上がった人々もいる。それが今作の中でも重要人物ともなってくる、女優のアシュレイ・ジャッドである。アシュレイは、ワインスタインに性暴力を受けた当事者でもあった。そんなアシュレイが今作に“本人役”で出演しているということにも、大きな意味があるのだ。
今作が描いているのは、ハーヴェイ・ワインスタインという男の性暴力問題騒動だけではない。そういった人物を生み出してしまった、男性優位主義の映画業界の現状を炙り出すだけに留まらず、権力者が常に優位に立つような法や社会のシステムの在り方について、つまり「仕方ない」と権力に服従してしまうのではなく、「おかしい」ことを当たり前に「おかしい」と言えることの大切さを描いているのだ。
それでもほとんどの場合、希望は打ち砕かれてしまう世界かもしれないが……何もしなければ、何も変わらない。実際にMeToo運動の大きな引き金となったのだから、声をあげることには意味がある。