「1960年代にクラプトンがメンバーだったヤードバーズやクリームといったバンドは、ロックとブルースを融合したサウンドで当時の音楽シーンに変革をもたらしました。70年代に入るとデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成し、『いとしのレイラ』を発表します。この曲は現在に至るまで、日本におけるクラプトンの人気を決定づけた不朽の名作。今の若い世代は洋楽とJ-POPを分け隔てなく聴くので、純粋な“洋楽ファン”というと50歳以上の世代が中心ですが、彼らにとって最も人気のある洋楽アーティストがこのクラプトンだったり、『ホテル・カリフォルニア』のイーグルスだったりするのです」(音楽ライター)

 そんなクラプトンが初めて武道館のステージに立ったのは、1974年10月31日のことだった。実はこの初ライブ、今日における評価は芳しいものではなかった。何しろライブ当日のクラプトンは酒に酔っており、ろくにギターも弾かずに日本のファンを舐め切っていた、とされている。「散々な出来であった」と古くからの洋楽ファンたちの間では、語り草になっているのだ。

「ただ、2022年に発掘された当時のライブ音源を聴く限りでは、ギターもそれなりに弾いていて、そこまで酷くもない印象です。もっとも酔っ払ってステージに立っていたのは事実だし、いく分精彩を欠いていたのは否めません。クラプトンの初ライブに大きすぎる期待を寄せたファンが、裏切られたと感じて殊更に酷評したというところもあるでしょうね」(同)

 当時のクラプトンはドラッグ中毒で一時は再起不能だったとも報じられ、日本での初ライブが行われた74年はようやく、カムバックを果たしたところだった。ところが今度はアルコール中毒に陥り、そのため80年代は作品もライブも低調に。この時期のクラプトンはスランプだったというのが定説だ。