内容はヒドイのだが躍動する主人公がそうであるだけで映画はポップに映るのだ(中身も行き過ぎているとは言えポップだしね)。
そして取り沙汰されているのは劇中歌の多さとそのタイミング。基本音楽が鳴りっ放しである事と会話のシーンでたまに、容赦なく日本語詞が同時に放り込まれるというユーザーアンフレンドリーな特殊仕様には面食らったが、まあこれも新鮮味が個人的には勝った。という事とそもそも本作の会話の殆どは軽薄な者同士の軽薄な会話だったりするのでそこに物語上重要な情報が特に無かった(であろう)事もその結果に一躍買った由縁だ。あと曲がやたらとカッコ良かったのでサントラ聴きてえす(本当はこれが一番の理由)。
またその他諸々の手法と作風で想起される園子温監督との関係性についてだが、何が由縁かは知る由もないがこれについては基本長尺を好む傾向がある様に思える園監督とは真逆の短さである点でおっさんは特に気にならなかった。むしろ思い出したのは、短尺でやりたい事やり倒してグチャドロにしてはい終了! というかつて「ごっつええ感じ」内で放送されていたショートアニメ「きょうふのキョーちゃん」なんかを思い出し、もしも劇中にあった皮肉と自虐が監督本人の私的な所であるのならば、色んな題材(人物)を”せーの!”するショートフィルムがスピンオフとして観たいなあなんて妄想が膨らんだが、きっとサイゾー諸氏にそんな金はないであろうし、おっさんにも、ない。