“90年代の鶴太郎”は、過去の自分を黒歴史にしていた
冒頭、黒柳は鶴太郎の半生を紹介した。
「20代のときにお笑いタレントで大人気になりました。その後、さまざまな才能を開花させ、俳優、ボクシング、画家、書家、そしてヨガ。一体、何者か? というようなことでございます」(徹子)
なんでも平均以上にやってはいるけれど、どれも一流にはならない。ミーハー心からくる“下手の横好き”で、片っ端からなんでも手を付ける。皮肉ではなく、そんな彼の生き方からは潔ささえ感じる。
その後、番組は鶴太郎が『徹子の部屋』に初登場(1983年)した28歳の頃の映像を紹介した。今の姿と比較すると、完全に別人だ。顔はパンパンだし、ボーダーのタンクトップを着た体はたるみまくっている。こっちのイメージが、昭和世代にはピンと来る。まさしく、“俺たちの鶴ちゃん”だ。「抱かれたくない芸能人」ランキングで1位を獲得するなど、この頃の彼は世間的に3枚目のキャラだった。
当時の映像を見ながら、「スゴいな、これ(笑)。よく、このまんまでテレビ出たなあ」と懐かしむ鶴太郎。イケオジを自認する鶴太郎も、当時については黒歴史にしていないように見える。一時期は、決してそんなことなかった。故・ナンシー関が94年に発表したコラムに、こんな文章がある。
「鶴太郎は、昔のVTRで自分の姿を見せられることを、ものすごく嫌がる。その嫌がり方は他のタレントなどが見せる『一種、甘酸っぱいこっぱずかしさに居心地の悪さを感じる』というのとはちょっと違う。本当に心底嫌そうなのだ。VTRの中の自分を憎悪しているようにさえ、私には見える。ここでナルシズムという言葉を持ち出すのは、ちょっと安直な感じがして気が引けるが、やっぱり大きな要因かもしれない」(「週刊朝日」1994年4月8日号より)
筆者も、寝起きどっきりで部屋に落ちていたアイドルの陰毛を食べる過去映像を見せられ、「やめてよ、もう~。恥ずかしいねえ(苦笑)」と悶絶しながら目を背ける鶴太郎を90年代によく目撃した記憶だ。
正直、筆者は日焼けしてムチムチしてる頃の鶴太郎のほうが健康的な色気があったと思う。しかし、気取り屋の90年代を経て、今は一周回った境地を感じている。今は亡きナンシーが、現在の鶴太郎を見たらどう書くだろう?