サッカー・ワールドカップはアルゼンチンの優勝を持って幕を閉じました。今回は私も大いに注目。睡眠時間を気にしつつ、ライブで楽しみました。録画でも良いのですが、やはり生中継で同じ瞬間を画面の向こうのファンと共有することこそが、スポーツ観戦の素晴らしさなのでしょうね。

さて、今回個人的に注目したことがあります。ツイッターでトレンド入りした、通訳をめぐるとある出来事です。話題になったのでご存じの方もおられるでしょう。概要を書きますと、非英語の同時通訳において、オンエア中に放送禁止用語が流れてしまった、というものです。私自身、日ごろ放送通訳に携わっているだけに、このニュースには非常に考えさせられました。

日本のマスコミ業界では、「使ってはいけない語」が存在します。具体的には「心身の特徴などをあらわし、本人が傷つくような表現」は用いることができません。インターネットで「放送禁止用語」と入力すると、色々出てきます。

私は放送通訳の仕事を20年ほど続けていますが、今でも本番中は非常に緊張します。「聞こえてきた英単語を辞書で引けば、確かにそういう語義は出ている。でも、これを日本語にしてしまうと語弊がある」という状況に直面するのです。とりわけアメリカのトランプ前大統領の発言がそうでした。そのような際には、瞬時の判断で別の表現を使うこととなりました。

BBCワールドで放送通訳デビューをした20年以上前。とある日に私は気象情報を担当していました。気象予報士が衛星図を指しながら”Manchuria”と言っていたので、私はそのまま「満州」と訳しました。しかし、直後に編集長から「日本語で『満州』と言うと、場合によっては戦争を連想させる。よって『中国北東部』と訳すように」と言われたのです。

BBCにはほかにもルールがありました。たとえばterrorismということば。これは「被害を受けた側からすれば、相手方がやったことはテロ行為」となります。しかし視点を変えると、「攻撃をした側は、抑圧されているがゆえにほかに手段がなく、武力攻撃をした」というロジックも存在します。よって、BBCでは「テロ」という語を使うことは英語でも放送通訳でも許されませんでした。当時のBBC日本語部では「自殺爆弾攻撃」といった訳語を使っていたのです。

一方、セレブの英語インタビュー(事前収録)などを観ていると、途中で何度も「ピー」「ピー」という音が流れることがありますよね。これは英語における放送禁止用語です。数年前にアメリカ人シンガーソングライターP!nk(ピンク)が”Blow me (one last kiss)”という曲をヒットさせましたが、これもラジオなどでは途中の一言が抜けて曲が流れます。放送禁止用語だからです。

ことばだけではありません。ボディランゲージでもNGの項目があります。たとえば日本の場合、テレビカメラを前にして足を組むことはできません。そのことを知らなかった私は、某通販番組の本番中に足を組んでいました。理由は「テーブルが無く、しかも座っていたのはハイスツール。安定してメモ取りをするため足を組むしかなかった」というものでした。けれども日本ではこれがダメなのですよね。一方、海外のニュース番組を観ていると、相手が大統領やCEOであれ、インタビュアーは足や腕を組んだりしているのです。

こうした例からわかること。それは、「国や習慣、メディア界の約束事が各々あり、現場に携わる人間は事前に知っておく必要がある」という点でしょう。プロとして稼働する通訳者は誰もが話者のことばを誠心誠意、忠実に訳したいという一念で仕事を続けています。聴衆をあえて不快にさせる意図など無いはずです。だからこそ、指導する立場の者、例えば通訳の授業を受け持つ者やマスコミ現場の担当者は、今一度、確認の意味もかねてこのような大切なことを定期的におさらいし、後進に引き継いでいく責任があると私は感じています。

さて、「通訳者のひよこたちへ」。2022年の回は今週が最後となり、次回は年明け1月10日火曜日を予定しています。今年もお読みくださり、ありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。2023年がみなさまにとって幸せに満ち溢れたものとなりますように。

(2022年12月20日)