ダンビラムーチョ
『M-1』漫才ではご法度とされている小道具を使った漫才。楽器を使って漫才をしたテツandトモ(ギター)やすゑひろがりず(鼓)は、最初から楽器を持ってネタを始めていたが、彼らは明らかに展開をつけるために小さいマラカスと「パズー」と呼ばれる小さなトロンボーンのような楽器をネタの後半から使い始めたのだ。これが本当に最高だった。松本人志が言うところの「あえて定義を設けて、破ることが漫才」を体現したネタだ、そこまでは言いすぎかも。
僕はこのネタを見たことがあったので冒頭から「あれ? これ、後半小道具使うネタだよな……」と思いながら見ていて、さすがに構成変えてくるのかと思ったらそのまんまやったから度肝を抜いた。昨年の敗者復活戦でさや香が「からあげ」という意味不明なネタをして話題になったのだが、今年の「からあげ枠」は間違いなくダンビラムーチョだった。僕のTwitterタイムラインはダンビラムーチョ一色だったので、これはもしや? と思ったけど結果9位だったことも踏まえて全部面白かった。お笑いって自由だ。
そんな白熱した戦いも、結果だけ見ると1位オズワルド47万9890票、2位令和ロマンが35万5577票と、オズワルドが2位に12万票の差をつけての圧勝だった。もちろんオズワルドもさすがの仕上がりで、敗者復活したことになんの文句もないのだが、敗者復活戦で毎年必ず巻き起こるのが「人気投票」論争だ。 敗者復活戦は視聴者が「面白かった3組」に投票し、それが結果に直結するシステムだ。普段お笑いをあまり見ない視聴者が多い中での投票になるこのシステムは、どうしたって知名度の高い芸人が有利で、いくら面白いネタを披露しても知名度の低い芸人は不利なことは間違いない。知らない人より知ってる人が面白いことをしてくれたほうが笑いやすいから。これによって「面白かったのに落ちた」芸人が必ず生まれてしまうので、毎年必ず「あの芸人が敗者復活したのは人気投票だから」とネットが荒れるのだ。
僕はこの視聴者投票システムを考えるにあたって、重要な要素が2つあると思っている。
1つ目は「審査員による審査は準決勝で済んでいる」ということ。
敗者復活戦にいる芸人は、審査員審査による準決勝で決勝進出者に敗れている。なので準決勝までと同じく審査員が敗者復活する1組を決めるシステムにするのは、敗者復活戦が「準決勝の追試験」のような位置づけになってしまう懸念があるし、あの白熱の戦いをただ「10番手の芸人を決める作業」にしてしまうのはもったいないと思う。
2つ目は異論もありそうなのだけど「『M-1』は当日だけの戦いじゃない」ということ。
『M-1』は、当日のネタの出来だけではなく、その1年、いや芸人人生全てを賭けて武器を身につけてストーリーを作っての戦いなのではと思っている。その日に面白い漫才をするだけではなく、これまでの『M-1』での戦いぶり、テレビ露出、SNS人気、ライブシーンでの評判、審査員からの評判、強弱はあるにせよ全てが決勝まで勝ち上がる要素になっていると思う。それを平たく言うと「人気投票」という言葉になるのではないだろうか。