ーーこの小説の中では響子の本当の内面が明らかにされないまま、死刑執行を宣告されてしまっています。現実の死刑制度においても、どうして事件が起こったのかという本当の動機が明らかにならないまま、刑が執行されてしまうことがあると思います。そのような制度に対する問題提起もこの作品には込められているのでしょうか。

柚月 死刑について確たる意見を言えるまでには、私はまだ達していません。ですが事件ってもとをたどっていくと、ずっと昔にさかのぼったところから始まっているのではないか、と思うことがあります。特に、小さい子どもが被害者になった事件は、その加害者も小さい頃に虐待を受けていたことがよくあります。事件を犯した人が生きていた長い時間は、事件とは切っても切り離せないものだと感じます。

ーー書いていて大変だったのはやはり響子の内面ですか。

柚月 小説の中で、響子が本当に我が子を殺めたのかというのは、結局最後まで明らかにされないんです。そこに無理やり答えを出して、殺意があったのかどうかとはっきり書くのは、今回の作品については違うような気がしました。そういうわからないままでラストを迎える小説を書くというのは、結構大変でした。

ーー登場するスナックのママのセリフで「誰もが目に見えるものだけで決めつけて、その裏の事情なんて考えもしない。目に見えないものにこそ、大事なことが詰まっているのにさ」とあります。ここには柚月さんの思いが込められているのでしょうか。

柚月 私は岩手出身で、実家が海沿いにあったので、東日本大震災で親を亡くしているんです。実家のあった街全体が津波で被害に遭ったので、形見や遺品はほとんど持ち出せませんでした。自分の家がどこだったのかもはっきりとわからない壊滅的な場所で、思い出の写真も品も、形あるものは何も残っていないという時に、何が自分には残っているんだろうか。人生で右に行くか左に行くか迷った時に、私が右を選ぶ理由は、やはり両親のもとで受けた影響からだろうと考えると、本当に続いていくものって、目に見えない形のないものであって、それが自分を支えていくんだろうなと思うんです。

ーー柴原住職の「生涯、ひとつも過ちを犯さずに過ごせる者など、この世にはいません。あなたも、そして、私もそうです」というセリフも心に残りました。

柚月 「いや、自分は今まで罪は犯していない」という人だって、きっとどこかで知らないうちに誰かを傷つけていることがあるし、一方から見て右と見えることが、ほかの誰かからは左に見えることもあります。それにもかかわらず自分は罪を犯さずに生きていたと言い切れるとしたら、その人はある意味傲慢だと思うんです。自分はどこかで罪を犯してきたのではないかと立ち止まって考えることは必要だと、自分に引き戻して考えてもそう思います。

ーー響子が死刑執行の直前に呟いた、「約束は守ったよ、褒めて」という「約束」の中身がなんだったのかは読者に読んでいただくとして、『教誨』という作品を通して柚月さんが読者に感じて欲しいのはどんなことでしょうか。

柚月 『教誨』は書いていてとてもつらかったけど、分からないことを素直に分からないまま、書いた作品です。言い換えれば、読んでくださる読者の方々が、それぞれに何かを胸に思ってくれる作品だと思います。読者の方それぞれにいろいろな受け止め方ができると思うので、どうぞ手に取っていただきたいです。

(プロフィール)
柚月裕子(ゆづき・ゆうこ)
1968年、岩手県生まれ。2008年、『臨床真理』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、デビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞。他『最後の証人』『検事の死命』『蟻の菜園―アントガーデン―』『パレートの誤算』『朽ちないサクラ』『ウツボカズラの甘い息』『盤上の向日葵』『慈雨』『月下のサクラ』など多数。