ニュースの放送通訳でよく出てくることばの一つに”comfortable”があります。辞書を引くと「心地よい、気持ち良い」などがありますよね。このワードが耳から聞こえてくるたびに、どうしても私は訳語に詰まってしまうのです。使われている状況としては、「何かの出来事に遭遇するも、どうも自分が思い描いていたようなものでは無かった。よってcomfortableに思えなかった」というニュアンスです。
何分、同時通訳をしているので、じっくり訳語を考えている時間的余裕はありません。そのような場合、どうしても脳裏に浮かぶのは「辞書の一番上に出てくる語義」となります。しかも私が悩むのは、決まって”not comfortable”という否定形の場合。よって、この語が出てくるたびに私は反射神経で「心地よくない」という和訳にしてしまいます。
しかし、よくよく振り返ってみると、「心地よい」というのは、たとえばソファの座り心地が良いとか、空間が快適などという感じで使いますよね。心理的にnot comfortableという場合、どうもこの訳語では違和感を覚えます。使うべきは「しっくりこない」という和訳の方が良いように思うのです。ただ、悲しいかな、本番後に反省しても、次にまた出てくると、なぜかまた「心地よくない」という訳語を口にしている自分がいます。
このように、本番のさなかは瞬時を争う現場であるため、とにかく沈黙を作らず、最大公約数的に該当する日本語を持ってくるしかありません。黙ってしまえば無音声時間がエンドレスに生じるような恐怖となります。沈黙時間はテレビの場合、放送事故となってしまうのです。
このcomfortableという語。せっかくなのでオックスフォード英英辞典を調べたところ、”(of a hospital patient) not in pain or in danger”という語義が上の方に書かれていました。英和辞典でも「病人の病状が安定した」と書かれていますが、英英辞典では”hospital patient”(入院患者)と、より具体的なのが興味深いところです。
ところで「心地よい」から思い出すことがあります。それは米原万里さんです。米原さんはロシア語の同時通訳者ですが、若くして病気で亡くなられました。病に見舞われてもなお、ユーモアのセンスと毒舌で数々の文章を世に遺しています。その中の最高傑作が「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」。通訳者として話者のことばをどこまで忠実に訳すかで悩む米原さんならではの視点が描かれています。日本語訳として美しければ「美女」、そうでなければ「醜女」と例えており、「不実」だが美しく訳すか、またはその逆を試みるかで通訳者は悩む、というのですね。数年前のトランプ政権時代に、氏の発言をどこまで忠実に訳出するかで悩んだ私は、このタイトルを常に脳裏に描きながら同時通訳をしたものでした。
ちなみに10年以上前に「平気でうそをつく人たち」という本がベストセラーになりました。「うそ」にはネガティブなものもあれば、それこそ相手が喜び、comfortableに思うようなものも含まれるでしょう。ただ、「心地よく聞こえるセリフ」も、度が過ぎれば単に「耳心地が良いだけ」です。しかも「耳」と「心地」の「心」をくっつけて生まれる漢字は「恥」。comfortableも行き過ぎれば「恥」につながるのかも、と妙に納得してしまったのでした!
(2022年12月13日)