観ている者の主観がバグるほどのカメラワーク
本作の公式サイトにある触れ込みでは「全編アンヌ(主人公)の目線で描かれる本作は、特別なカメラワークもあり、観ている者の主観がバグるほどの没入感をもたらし、溺れるほどの臨場感であなたを襲う」とある。この言葉はまったく大げさではない。カメラは多くの場面で主人公の顔の近くにあり、観客が「ほぼ同じ目線」で作品内世界を観ているような、奇妙な感覚を得られるようになっているのだから。
例えば、劇中では中絶のために一般的な医療の道を離れ、陽の当たらない脇道(=違法行為)へと移動していくという場面がある。鍵のかかったドアの向こう、転じて「ここまで行けばもう元には戻れない場所」にまで来てしまった彼女の恐怖、あるいは覚悟を、全く同じ視点かつリアルタイムで同調できるようになっていた。
オードレイ・ディヴァン監督には「カメラはアンヌ自身になるべきで、アンヌを見ている存在であってはならない」という信条があった。もちろん、そのカメラワークを作り出すのは、決して簡単なことではない。撮影監督のロラン・タニーと主演のアナマリアと監督の3人は共に何度もリハーサルを行ったのはもちろん、カメラとアナマリアの動きが一致する共通のリズムを見出すまで、繰り返し一緒に移動していたのだという。
さらには音の演出もこだわり抜かれており、主人公が我慢するたびに、息を止めたり、息切れしたりするといった「息遣い」もリアリズムと没入観に大きく寄与している。視覚だけでなく聴覚も刺激してこその、やはり「観る」ではない、もはや「擬似」という言葉をつけなくてもいいほどの、「体験」をさせてくれる作品なのだ。
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