12月2日よりフランス映画『あのこと』が公開されている。本作は第78回ヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞し、映画レビューサイトRottenTomatoesでは脅威の批評家満足度99%を記録するなど、極めて高い評価を得ている。
実際の本編は、良い意味で二度と観たくない、でも、だからこそひとりでも多くの人に観てほしいと願える傑作だった。そして、(後述する理由で)男性こそ得るものが多い内容ではないだろうか。
極めて限られていた選択肢
端的に内容を記せば「法律で中絶が禁止されていた1960年代のフランスで、妊娠した大学生があらゆる手段を使って中絶を試みる」というものだ。
主人公の選択肢は、極めて限られている。彼女は労働者階級の貧しい両親のもとに生まれ、持ち前の知性とたゆまぬ努力で大学へと進学したものの、大切な試験を前に妊娠が発覚してしまうのだから。「なんとかしてほしい」と医師に訴えても、「違法行為に荷担したら私も君も刑務所行きだ」と拒絶されるのだ。
未来を手にするためには学業を中断することなどあり得ない、だが妊娠を誰かに相談することもできない。日に日にお腹は大きくなっていき、不安と恐れに押しつぶされそうになる。いたずらに時間は過ぎていくし、勉強も手につかず成績が落ちてしまう。では、彼女は悩んだ末にどうするか……。「自分のこの手で決着をつけるしかない」と、思い切った行動に出てしまうのである。
何よりも苦しいのは、「直接的には見せない」が「物理的な痛みがこれでもかと伝わってくる」ことだ。中絶をするための「その行為」が、主演のアナマリア・ヴァルトロメイの熱演と、後述するカメラワークと、実行までの「長い時間」を持って示し、まさに「擬似体験」をさせてくれるため、良い意味で観ながら身悶えするほどに苦しかった。
だからこそ、本作はぜひ劇場で目撃していただきたい。もしも、同シーンを家のモニターで観ていたら、辛すぎてその場を離れたり、早送りをしてしまったかもしれない。だが、それでは本作の意義を大きく損なってしまう。当時の(あるいは今でもある)女性の痛みを思い知るということは、とてつもなく意義のあることであるのは間違いない。だからこそ、それを現実では知ることが絶対にできない、男性にこそ観てほしいのだ。