スピリチュアルと聞くと「何となく知っているけれどよく分からない」という人は多いのではないでしょうか?実はスピリチュアルとは、誰もが心の奥に持っている本質的なものです。是非、スピリチュアルへの理解を深め、更なる素敵な人生をおくれるよう、スピリチュアルの意味と世界観をご紹介いたします。


「スピリチュアル」と言えば、多くの人が思い浮かべるのは、例えばパワーストーンや天使、見えないものが見えるチカラなどでしょうか。

あなたはどんなことを思い浮かべますか?

興味はあるけど、なんとなく、その世界観が曖昧・・・という人も多くいるかと思います。 「『スピリチュアル』に魅かれるけど、どんなことだろう・・・?」と思う方は、この記事を読んで、スピリチュアルへの理解を深め、更なる素敵なスピリチュアルライフをお過ごしくださいね。

スピリチュアルって怖い?

『Spicomi』より引用
(画像=『Spicomi』より引用)

スピリチュアルは見えない世界の話として、時として、オカルトと呼ばれるような、少し怖い世界と似たものとして受け取られることも多くあります。そのためか、スピリチュアルに対して否定的な人もいますよね。

また、スピリチュアルの話をすると、占いや不思議なことが好きな「変わった人」として見られてしまうという風潮もあるように思います。そのことが、スピリチュアルに興味を持つ人は「何か特別な人」として捉えられてしまい、スピリチュアルの本来の意味の理解から遠くなっていくように感じます。

以前に比べると、その偏見は少なくなってきているとはいえ、スピリチュアルは「少し怖い世界」「変わった世界」という誤解をしたままでは、とても勿体ないことと思います。

「スピリチュアル」とは、本来は「精神的な」「聖霊の」「霊的な」という意味を持つ英単語です。

精神や聖霊は確かに目に見えるものではありませんが(見ることができる人も存在しますが。)、目に見えない=得体が知れない=怖いという認識は取り去ってしまった方が、人生は明るく楽しくなります。

スピリチュアルとは

『Spicomi』より引用
(画像=『Spicomi』より引用)

以前に比べ「スピリチュアル」というものが、多くの人にも受け入れられるようになった背景には、「論理的、科学的に説明できないものは迷信だ。」という社会の考え方が、崩壊しつつあるからでしょう。

私たちの存在する世界には、今までは「世迷いごと」として、社会から無きものとされていた、科学的に証明できないことが、沢山あるのだということに多くの人が気付き始めたのです。

古の時代には、スピリチュアルと呼ばれるものは、「どこかの見えない世界」ではなく、「傍らにある日常」だったと思うのです。

なぜそれが失われ、見えない世界となってしまったのか。 それはやはり、文明の科学的進化による影響が大きいと言えるでしょう。科学的進歩は、それまで不可能だと思われていた様々なことを可能にし、より多くのものを得ることを良きこととしました。

そして、誰よりも秀でた先に幸せがあるという考えを根付かせ、隣にいる人は敬うべき尊い仲間ではなく、蹴落とすべきライバルとなってしまったのです。

人間は科学力で手に入れるものの代わりに、失うものがあることに気付きながらも、目を逸らしていたのかもしれません。

その失ったものとは、自然を敬うことや自然と共存することです。

「自然」というと、緑豊かな山や森、美しい海や川、様々な動たちを想像する人が多いと思います。しかし、それだけではなく、「自然」の中には、私達人間も含まれています。美しき自然を敬うと同時に、隣にいる人にも敬意を払い、感謝の心を持つ・・・そのような精神性は、「スピリチュアル」の本質そのものです。

そうした感謝の心を持つことによって、見えないチカラとして、自然が力を貸してくれるのです。