前回に引き続き、こなれた訳文にする上で翻訳者がぶつかるジレンマをどう克服すればいいかについて、既刊訳書から実例を挙げて考えてみます。
例題5は、ある女性患者が心理カウンセラーのところに相談しにいっているところが書かれています。It was the first time she had dreamed it for about a year.をどう訳せばこなれた訳文になるかに気をつけて訳してみてください。
例題5
A patient reported a dream that had recurred throughout her life. (中略)
Sometime later she reported the dream. It was the first time she had dreamed it for about a year.
ある翻訳者の例を見てみましょう。
ある翻訳者の訳
ある夢が繰り返し現れるという女性の患者がいた。(中略)
しばらくたってから、彼女はまたその夢について訴えてきた。彼女にとって1年もの間、ずっと同じ夢を見たのは初めてのことだった。
この翻訳者は、It was the first time she had dreamed it for about a year.を「彼女にとって1年もの間、ずっと同じ夢を見たのは初めてのことだった」と訳しています。the first timeという言葉があるので、それに引きずられて「初めてのことだった」としているのでしょう。たしかにthe first timeをそう訳してもいいこともあります。しかし「彼女にとって1年もの間、ずっと同じ夢を見たのは初めてのことだった」では読みにくくないでしょうか。
こういう場合は、しばらく経ってから(原文がどうであったか思い出せないくらい時間を空けたほうがいいでしょう)訳文を読み返してみましょう。するとここでいう「初めてのことだった」というのが、日本語では「~ぶり」ということに気づくかもしれません。なまじっか原文のthe first timeが頭に残っていると、なかなか「~ぶり」という言葉が出てこないかもしれませんが、原文から離れて意味だけを考えてれば、日本語として読みやすい表現が浮かんでくることがあります。そこで私はこの箇所を以下のように訳しました。
宮崎訳
ある夢を繰り返して見るという女性患者がいた。(中略)
しばらくして、彼女はおよそ1年ぶりに同じ夢を見たと言ってきた。