念願の日本へ、言葉が通じずアルバイトを探すのも一苦労
――日本の大学はどうやって選びましたか?大学時代はどのような生活だったでしょうか?
金「大学は『とにかく、学費が安くて留学できるところ!』という感じで選びました。限られたお金で、なんとか日本に行きたかったので。結局、奈良の『白鳳女子短期大学(現在の白鳳短期大学)』に通うことになりました。
大学生活は、学費を稼がなきゃいけないし、留学のためにした借金も返さなきゃいけなかったので、とにかくアルバイトの日々です。でも言葉が話せなかったので仕事探しは苦労しました。漢字は読めるので、あちこち歩いて、『求人』と書いたチラシを見ると、片っ端からその店に入って身振り手ぶりで働きたいことを伝えました。アルバイトを見つけてからは、毎日授業の後、翌朝5時まで働いて、そのまま寝ずに授業に行っていました。だから授業中はよく寝ていました(笑)」
中国に戻って結婚したものの…
――奈良の短期大学の後は、どうなさったんですか?
金「奈良の短期大学から岐阜の朝日大学に移りました。そこに1年半くらい通って、その後は結婚するために一旦中国に戻りました。17歳の時からお付き合いをしていた7歳上の彼氏が中国にいたんです。日本にいる間の3年半は遠距離恋愛をしていました。特に深く考えずに情熱に任せて結婚しました。当時は彼が大人に見えたのです。
でも日本で過ごした3年半は私に大きく影響していて、いつの間にか考え方とかも変化しました。だから生活をしているうちに、段々、彼との価値観の違いを感じるようになりました」
飛行機での出会いから就職へ
――それでも、しばらく結婚生活は続いたのですか?
金「はい。結婚してすぐに子供ができました。でも2年ほど中国で過ごして子供が1歳になる頃に、日本に戻ることを決意しました。元旦那は全然働かなかったので、日本へ行って心機一転しよう、ということになり、家族で日本へ行くことを決めました」
――日本で働くアテはあったのですか?
金「実は以前に、日本から中国に帰る時の飛行機の中で、隣の席になった日本人男性と知り合ったのです。その時は雪で飛行機が着陸待ちのため、上空でしばらくグルグルと回っていたんですが、中国語が分からないその男性は不安そうにしていました。だから『大丈夫ですよ』って話しかけたのがキッカケで仲良くなりました。
その方が岐阜にある会社の社長さんだったんです。連絡先をもらっていたので『仕事先を探している』と相談したところ、『うちで働きなよ』と言ってくださったんです」