帰省のシーズンとなりました。実家が居心地のいい場所なら良いけれど、幸せな思い出が少なく家族とも疎遠になっている場合、帰省はストレス覚悟の大決意ともいえます。
佐田優子さん(仮名・36歳)にとって、18年過ごした家は積極的に足を向けたいとは言い難いところでした。
「お前は出来損ない」実家はいつもギスギスしていた
「父と母方の祖母の折り合いが悪く、祖母が父の仕事について『無能』と言っていたり、食事のときに父だけ食卓につかなかったり、いつもギスギスしていました。 母は祖母に味方しないといつまでも愚痴を言われるので仕方なく従っている感じで、父とは楽しそうに会話している姿など見たことがありません」
こう話す佐田さんは、「私と2つ上の姉はいつも母と祖母から勉強で一番を取るように言われていて、成績を比べられていました」と窮屈(きゅうくつ)だった実家での生活を振り返ります。
「姉は要領がよくテスト勉強を適当にやっても良い点を取るのですが、私は反対に物覚えが悪くて本番でも失敗するタイプ。 通知表を並べられて『お前は出来損ないだ』と言われるのが本当にイヤでした」
姉ばかりかわいがる母と祖母に嫌気がさし、「高校生になるとちょっと悪い遊びもしました」と言う佐田さんですが、図書館の司書になりたいという夢を持ち大学への進学を希望、無事に合格して実家を飛び出します。
実家とはしばらく音信不通だったけれど
それからは2年に一度くらいの頻度で実家には帰省していましたが、先に結婚して子どもができた姉の家庭ばかり優遇しては「お前と結婚する男なんていないだろう」とおとしめてくる母と祖母に耐えられず、しばらく音信不通だったそうです。
そんな佐田さんの意識が変わったのは、自分も結婚して長男が産まれたとき。
「夫の両親には結婚前に、正直に自分の家族のことは話しました。仲の悪い家族で居づらかったこと、ずっと馬鹿にされて生きてきたこと、夫との結婚は報告だけで済ませることなど、『これで反対されたら仕方ない』と覚悟を決めて。 でも、義母も義父も『今のあなたは一生懸命生きているじゃない』と受け止めてくれて、その時はうれしくて涙が出ましたね」
結納も行わず婚姻届を提出し、実家の近くに住む姉に「結婚したから」と新しい名字だけをショートメールで送ったら「非常識」とさんざん罵倒されたそうですが、「どうせ今後も付き合いはないし」と佐田さんは気にしなかったそう。
それでも、初めての妊娠で無事に出産できたとき、義母から
「実家が嫌なのはよくわかるのだけど、あなたのご両親も赤ちゃんには会いたいと思うのではない?」
と実家に行くことを提案されました。