今回は、翻訳する際、原文をどの程度“改変”(つまり削ったり付け加えたり)できるかを考えてみましょう。
これに関しては、産業翻訳の場合と出版翻訳の場合を別に考える必要があります。
産業翻訳の場合、原文を“改変”することは原則、不可です。特に翻訳者の勝手な判断で改変するのは控えるべきです。ただし非常に稀ではありますが、几帳面にすべてを原文に忠実に訳すとトラブルが生じかねないと思われる箇所はトラブルを未然に防ぐためにも依頼者に承諾を得てから“改変”することもあります。
ここでは私が“改変”せざるを得なかった例をご紹介しましょう。産業翻訳家として働いていたとき、日本人がメキシコに視察に行ったときの社内レポートの英訳を頼まれたことがあります。その社内レポートは日本人の社員向けに書かれたものでしたが、急遽、メキシコで開催される国際会議でその社内レポ-トを英訳して参加者全員に配布することになったのです。ちなにに参加者にはメキシコ人も含まれています。
その社内レポートの中にこんな文章がありました。
「チープのA氏(注=実名)はメキシコ人にしては珍しく時間を守る人で…」
さて、あなたならどう訳すでしょうか。
もちろん英語に訳そうと思えば訳せます。しかしこの日本文をそのまま英訳したものをメキシコ人が読んだらどう反応するでしょうか。「メキシコ人をバカにしているのか」と怒り出すかもしれませんね。最悪の場合、トラブルに発展しかねません。
このようなトラブルが生じかねない文は翻訳家の判断で原著者に相談して削除するなり表現を変更するなりしましょう。それも広い意味では翻訳家の任務の一つです。ちなみに若かりし頃の私はその箇所を意図的に“訳し忘れた”ことにしました。何十ページとなるレポートで、特に重要ではないと思われる箇所だったからです。