随分前のこと。とある通訳業務で忘れられない体験をしました。
当日まで「資料は一切ありません」と言われ続けて現場入り。本番直前に大量の資料を手渡されました。この日は先輩通訳者と私の2名体制。この資料をとにかく読みこなさなければ太刀打ちできません。あと数分で会議は始まります。先輩はこうおっしゃいました。
「メモ取のサポート体制は無しにして、資料のサイトトランスレーションに励みましょう。」
2名の通訳者が担当する場合、同時通訳中の通訳者をもう一人がサポートします。固有名詞や数字、難易語などをメモしていくのですね。通常はそのようにして支えあいながら最高品質の同時通訳を目指します。しかし、その日は資料が半端ない量でしたので、サポートは断念しましょうというのが先輩の考えでした。
トップバッターは先輩でした。私は先輩が訳しておられる10分間を、手元の資料の解読に励みました。サイトトランスレーションによる同時通訳になるわけですので、ひたすらその紙資料にスラッシュを入れていきました。ところがその直後、先輩が突然自分のマイクをオフにするや、
「スラッシュを入れるボールペンの音、うるさいからやめてっ!!!」
と半ば悲鳴に近い声でおっしゃったのです。
突然のことでビックリしました。「え?何か私、いけないことしてしまった?ボールペンの音がうるさいってどういう意味だろう?ノック式のボールペンでないからカチカチ言っているわけでもないのに」
先輩の発言に困惑(&混乱)しましたが、少しして意味がわかりました。ボールペンでスラッシュを入れる際、ボールペンの先端が紙に着地しますよね。その着地音が耳障りだった、というわけです。なるほど、と思いました。
「うーん、今日はこれ以外筆記用具、無いのだけどなあ」
というのが現状でしたが、何しろこちらは駆け出し通訳者。とにかく先輩が集中できるように息を殺しつつ、サイトラはあきらめて資料読みに励んだのでした。その日の私の教訓、それは
「通訳現場には鉛筆も持参すること」
でした。鉛筆なら着地音も気になりませんよね。