高松城は香川県高松市にあり、瀬戸内海の海際に建つ海城です。その昔、海から見る高松城はまるで波の上に天守が浮かんでいる様に見えたとか。城内の堀には海水が引き込まれている珍しい造りで、堀には真鯛がスイスイと泳いでいます。ライトアップやお城ヨガ、松ぼっくり投げ大会など趣向を凝らしたイベントも開催されていて、参加&体験が楽しめるお城ですよ!
高松城の歴史
柿本人麿が讃岐の国の枕詞に「玉藻(たまも)よし」と詠んだことからこの辺りの海を玉藻の浦と呼んでいました。玉藻の浦にちなんで別名「玉藻城」とも呼ばれ地域の方に親しまれています。
その玉藻城の歴史を簡単に見ていきましょう!
秀吉から讃岐一国を与えられた生駒氏
天正15年(1587)豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒正親がこの地に高松城を築城しました。城内の堀に海水を引き込んだこの城は日本の三大水城(高松城、今治城、中津城)の一つと言われています。
生駒氏は4代54年間納めましたが、寛永17年(1640)に御家騒動により、この地を去ることに。
11代228年間にわたり統治した松平氏
生駒氏が去ったあと、寛永17年(1640)に、松平頼重が領主として入城。頼重は徳川家康の孫で、あの時代劇でも有名な水戸黄門(徳川家光)の兄にあたります。
松平家の統治はこの後、11代228年間も続き、高松は城下町として栄えました。
明治の廃城から現在
明治3年に廃城となった高松城。一時政府の所管となりましたが、明治23年(1890)に城跡の一部が松平家に払い下げになり、昭和29年に高松市が譲り受け、昭和30年に一般開放されました。
日本三大水城「高松城」のここだけは見ておきたい!
瀬戸内海に面した日本三大水城の見どころをご紹介します。
お城と海を繋ぐ水門
海と繋がる水門。潮の干潮によって水位が変わるので、調節のため水門が設けられています。
江戸時代には内堀・中堀・外堀の三重の堀がありましたが、明治に入り、外堀が埋められるなど、市街化が進み海と接しないようになりました。
ただ現在でも、内堀は水門で海と繋がっているため、城内の堀には鯛やチヌなど海の魚が泳いでいます。鯛の餌やり体験もできますよ!
海の大手門「月見櫓(つきみやぐら)」
月見櫓は水手御門、渡櫓(わたりやぐら)と繋がっており、当時、出入りする船を監視する他、藩主が船で着くのをここから望み見た場所です。水手御門からは、参勤交代の際、藩主がここから小舟に乗り、沖に停泊している船に乗りかえ出かけていたそうです。昭和25年に重要文化財に指定されました。
まるで小さな天守閣のよう!艮櫓(うしとらやぐら)
もともと北東の隅にあった櫓で、北東の方角を丑寅ということから「艮櫓」とよばれています。月見櫓と同時期に造られたもので、重要文化財に指定されています。小さいですが、天守閣の様ないで立ちの櫓です。
天守閣へ渡る唯一の橋「鞘橋」
本丸(天守がある場所)と二の丸を結ぶ唯一の橋です。本丸に攻め込まれそうになれば、この橋を落とし籠城できるようになっていたんですね。
橋の屋根は江戸時代中期末頃に付けられたそうです。因みに、高松城は一度も戦を経験していないので、鞘橋が落とされることは無かったでしょう!