浦安村から浦安町へ、そして浦安市へと変化を続けてきた千葉県浦安市。漁業と農業が人々の生活を支えた時代、軽快なテンポの浦安弁や独特な形状の漁具など、浦安では独特の文化が生まれ育まれていきます。そして、小説家・山本周五郎の作品『青べか物語』の舞台「浦粕」として登場して以降、その情景は現代でも読者を魅了して止みません。浦安市郷土博物館では、昭和27年頃の漁師町浦安の町並みや自然が再現され、『青べか物語』の時代の浦安を体感することができます。そんな、大人も子供も楽しめる体験型博物館の魅力をご紹介します。
漁師町として栄えていた頃の浦安
昭和27年頃、漁師町として栄えていた浦安には漁師の家や長屋が軒を連ね、船宿や蕎麦屋、天ぷら屋、寄席や映画館、銭湯などが所狭しと並んでいました。
迷路のような路地裏には、長屋や共同水道、共同便所があり、道には家庭や貝加工工場などから出る貝がらが撒かれていたので、通る時にはシャリシャリという音がしたそうです。
しかし、そういった場所は一極集中的だったようで、街を通り抜けるとすぐに沼や池、田んぼなどの湿地が広がり、さらには広大な浅瀬と沖へ続く海が広がっていました。
周囲を大きな川と海に囲まれた浦安は、「陸の孤島」とも呼ばれ、旧江戸川の対岸とを結ぶ渡し舟や、東京都心部とを行き来する蒸気船が、当時では重要な移動手段でした。
博物館に再現された、昭和27年頃の浦安
現在の浦安といえば、まず思い浮かべるのは有名なテーマパークのディズニーリゾートでしょう。そして、高層マンションの建設が盛んな新浦安エリアは、都心に近いベッドタウンとして安定した人気を得ています。これらのエリアは、新町やアーバンリゾートゾーンなどと呼ばれています。
そして漁師町として栄えた地域は、現在「元町」と呼ばれるエリアに当たります。
浦安市郷土博物館で再現されているのは、昭和27年頃に漁師町として栄えた頃の浦安です。
博物館には3つのエリアがあります。実際に使われていた民家などの家屋や、電柱を移築して浦安の街を再現した「屋外展示場」、船や製造場、船大工道具を展示する「屋内展示場:船の展示室」、そして人々の暮らしや浦安弁などの文化を紹介する「屋内展示場:海とともに」に分かれています。
それでは、エリアごとに筆者がおすすめする、楽しい見どころスポットをご紹介します!
漁師町・浦安を再現した屋外展示場
物や、人が暮らしていた民家や店をそのまま移築した建物もあり、市や県の指定文化財に指定された貴重なものばかりです。
このエリアの最大の魅力は、「体験型」であることです。再現された町の中を散策できるだけでなく、指定文化財の建物の中には靴を脱いであがることができます。
居間で休んだり、江戸火鉢に触れたり、台所に立ってみたりと、自由気ままに当時の生活感を味わうこともできます。さらには、押入れの襖や戸棚の引き出しなども、自由に開けて中を覗けます。
漁師の家(旧吉田家貸家住宅、市・文化財)
明治後期頃に建てられた民家で、境川沿いから移築されました。補修作業や漁具を収納する土間が川に面した間取りが特徴で、漁家では良くみられる造りだそうです。
また、隣には、海苔の製造場があります。
三軒長屋(旧内田喜一氏所有三軒長屋、県・文化財)
江戸時代末期頃に建てられたと推測されるこの長屋は、堀江3丁目から移築されました。江戸・東京にはこうした長屋がたくさんあったのですが、そのほとんどは震災や空襲などで消失し、残った長屋も都市開発のために取り壊されました。
庶民が暮らした長屋はとても簡素な作りで、その耐久性の低さも相まって現存する実物がとても少ないそうです。
茅葺き屋根で覆われた平屋建ての長屋には、壁で仕切られた3つの部屋が並び、各部屋は6畳1間に土間がついた間取りになっています。近くには共同水道と便所があり、長屋に住む人は土間のカマドや外に出した七輪などで、食事の支度をしていました。
魚屋(旧太田家住宅、市・文化財)
1905年頃に建てられた民家、兼店舗の建物で、堀江のフラワー通りから移築されました。1階正面にはL字型の土間があり、行商人を相手に「久清」という魚屋を営んでいました。浦安では獲れない魚や練り物を仕入れて売っていたそうです。
2階は丸い材木を使って組む「与次郎組」というつくりでできており、実際に登ることはできませんが、外観やはしごの下から覗き込んで見ることができます。
天ぷら屋「天鉄」
堀江のフラワー通りにあった天ぷら屋を再現した建物で、小説家・山本周五郎が浦安を舞台にして書いた『青べか物語』にも度々登場するお店です。店内に置かれたテーブルや座敷は、休憩所としても利用することができます。