出版翻訳家デビューサポート企画のレポートに戻りましょう。今回登場するのは、第159回でご紹介した医師のYさんです。

翻訳経験のないYさんが翻訳するにあたり、出版社への安心材料を提示するために、試訳を多めに用意することをおすすめしていました。普通なら1章分でもいいところを、3章分ほどご用意いただくようにお願いしていたのです。

Yさんはコロナ禍で医師としてのお仕事がお忙しい時期でしたが、がんばってコツコツと3章分の試訳を仕上げてくれました。A4でプリントすると18ページになります。

翻訳を勉強している方でも、ある程度の分量を仕上げるのは、なかなか大変なものです。それをしっかり仕上げてこられたのは、やはりYさんの真摯な姿勢の表れだと感じました。

翻訳はというと、英文和訳としては文句なくできているのですが、翻訳としては検討が必要な箇所が色々とありました。「複雑な構文も把握できているとアピールするために、一字一句直訳したものになってしまった印象」とはYさんご自身のご感想ですが、読者のみなさんもやりがちなのではと思います。ちょっと手を入れるだけでぐんと読みやすくなるものなので、Yさんの試訳を例に、具体的に気をつけたいポイントを見ていきましょう。

・「彼」「彼女」が多すぎる

英語を直訳すると「彼」「彼女」が頻繁に登場する文章になってしまいます。それを活かした文体にすることもできますが、一般的には、日本語として読みづらいものになってしまいます。日本語では主語がないことも多いので、省略できる場合は省略しましょう。または、「夫」「妻」など関係性を表す言葉や「ローラ」など名前に置き換えられるなら置き換えましょう。

・訳出しなくていいものを訳出している

相手に呼びかける際の言葉を訳出しているため、会話の中に「愛する人よ」「最愛の人よ」という言葉が出てきます。訳しておかないと訳抜けだと思われてしまうという不安があったのでしょうが、日本語として読むとやはり不自然です。会話の中でいきなりシェイクスピアの劇が始まってしまったかのような唐突な印象がありますので、省略しましょう。場合によっては、「ねえ」などの言葉を入れることもできます。

・トーンの違う言葉が混じっている

Yさんの文章は基本的には無駄なものがない簡潔な表現で統一され、落ち着いたトーンになっています。ところが、一部にトーンの違う言葉が混じっていたため、そこが浮いていました。たとえば、「ありとあらゆる隅っこの部分を」という言葉です。少し幼いというか、かわいらしい感じがしますよね。こういう言葉が入ることで全体の調和が崩れてしまうので、「隅々まで」など、トーンに合った言葉に置き換えましょう。