「健慎がその目的に向かってひた走ってくれたから」
――KAI役の遠藤健慎さんとの共演はどうでしたか?
稲葉:年齢差はあるのに、あまり後輩だとは思いませんでした。それは、仁とKAIの役柄の性質上でもありますが、健慎は、実直で、真っ直ぐ思いを投げてきてくれました。すごく深く身を投じてくれた安心と信頼感がありました。
――仁とKAIとの関係性は、稲葉さんと遠藤さんの関係性から立ち現れたわけですね?
稲葉:そうですね。仁とKAIのように、お互いに無防備に玉を投げ合っていました。KAIは、仁に向き合っていく中で、仁に刺さるように、刺さるように言葉を投げかけるんです。だから物語は進んでいったし、それは健慎がその目的に向かってひた走ってくれたからです。
――仁が国語教師として正しく、美しい日本語をラップに取り入れる様子は、稲葉さんが俳優として演技するだけでなく、エッセーで言葉を紡ぎ、文章によって表現することと通じるものがあるように思います。一方、遠藤さんの誠実さが役柄に滲み出ていたわけで。
稲葉:近しさは感じますね。仁の少し面倒くさいところは、自分に似ていて(笑)、言葉に対して潔癖なんです。綺麗な言葉だけを使いたいわけではなく、言葉の意味やニュアンスに神経を使っています。仁の場合、国語教師ですから、日本語の確度や精度が高いわけで、種類は違えど、共感できることはありました。
仁とKAIの不思議な関係性
――オフィシャルコメントには、「とことん愛というものについて追求していった作品」とあります。仁とKAIの不思議な関係性についてどう思いますか?
稲葉:仁には、結婚していて妻がいて、事件以前以後では性自認が難しくなっていきます。KAIとの関係性は、単純に性愛というより、人間愛です。複雑な要素や事情があるからこそ、愛がピュアに感じられ、純度が上がるんです。そこに打算があったり、何か裏があるわけでもなく、社会的なことが排除されて、愛をぶち抜くという繋がりが生まれたのかなと思っています。
――最初はKAIが仁に暴力を振るうのに、徐々にKAIは仁から殴られるのを受け入れています。
稲葉:仁がトラウマから立ち直っていくためのKAIなりのアプローチだったんです。
――愛の反転というか。
稲葉:そうせざるを得ないというか、そういう手段しかKAIも知らないんです。でも理にかなっている部分もあるのが、この映画の愛の描き方の面白さです。