生涯抱えたトラウマと不安
オードリーと父親 ©️Sean Hepburn Ferrer
オードリー最後の主演作『ニューヨークの恋人たち』(1981年)を撮った巨匠ピーター・ボグダノヴィッチが本作でコメントするように、彼女はハリウッドの黄金期最後の大スタアだった。それは彼女にとっては宿命でもあったし、重荷でもあった。オードリーが生涯抱えるトラウマと不安は、銀幕を見つめる観客にはとても想像がつかないものだったけれど、若き日の彼女が次のように述べている。
「人を好きになって結婚したとしても、『捨てられた』という永続的な苦悩のなかで生きるでしょう。実は、もっともこだわるのはこの感情であって、それを失うのが怖いんです」
オードリーを苦しめたのは、父親との記憶(トラウマ)だ。父親は外交官で、母親はバロネス(男爵の階級を持つ貴婦人)だった格式ある家庭に育ったオードリーだったが、わずか10歳(1939年)のときに父親が彼女の元から去ってしまう。確執があったわけでもないのに、なぜ父は娘から離れたのか。オードリーは、そのことをずっとひた隠しにしながら、夢を追い求め、実際に大きな夢を叶えた。でも、父親への複雑な思いを解きほぐすことはできずに、愛を失う恐怖を抱き続けたのだ。
「never throw out anyone」の答え合わせ
1964年、ミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』が公開されたこの年、オードリーは、25年ぶりに父親に再会する。けれど、大スタアになった娘を前にあまり再会を喜ばなかったという。父親の態度にオードリーは、またも深く傷つくことになるのだけれど、悲しみを乗り越えようとこんなことを言っている。
「これから毎月、小切手を送るわ。それが私にできる精一杯のことだもの。私はお父さんを見捨てない。お父さんがたとえ私を見捨ててもね」
オードリーは、その後、父親が亡くなるまで20年間小切手を送り続けたのだという。愛がお金で買えないのは分かっている。でも、そうすることが、唯一の繋がりになるならと、オードリーの心の声が聴こえてくる。どんなことがあっても、その人を見捨てないこと。愛を失う恐怖を神経症的に抱え持つオードリーだからこその痛切な感情だ。父親とのこの再会が、まさに「never throw out anyone」の答え合わせとなった。