ラシク・インタビューvol.131

LAXIC(ラシク)新編集長 鎌田 薫さん

2019年6月より、LAXICの編集体制が新しく生まれ変わりました。 「ワーママを楽しく。」というコンセプトのもと働くママ向けの情報を発信し、早4年。 LAXIC運営会社である、株式会社ノヴィータ代表の三好は、「今回の新体制は単なるメンバーの入れ替えやサイトのマイナーチェンジではなく、コンテンツの強化など新しいことに挑戦する機会にしたい」と意気込みます。その熱意の背景にあるのが、「働きたいママがスムーズに社会復帰できていない」という現実。柔軟な働き方が広がる一方でなかなか解消しない社会課題に目を向け、「制約があっても働ける社会づくりを企業として、ママとしてだけでなく、メディアの立場からも支えていきたい」と語ります。

今回、新編集長に就任した鎌田は、夫の海外転勤に伴いご自身のキャリアを一旦セーブした経験の持ち主。「ブランクを経験したからこそ、当事者として新生LAXICをリードし盛り上げて行きたい」と意気込む鎌田新編集長にお話を聞きました!

“戦線離脱” は自分の思い込み!

駐在帯同で華やかなキャリアを手放し喪失感を味わった私が「離職してよかった!」と言えるまで

 

編集部:本日はお子さま連れで来てくださり、ありがとうございます! さっそくですが、まずは読者に向けて簡単に自己紹介からお願いします。

鎌田薫さん(以下、敬称略。鎌田):私はいま4歳の息子と11ヶ月の娘の母です。今日は娘を連れて来ましたが、息子の出産直後から子育てママのコミュニティづくりに関わってきたこともあって、子連れでのミーティングは割と日常の感覚です(笑)

長男を出産するまでの13年間は企業勤めでバリバリ働いていたのですが、長男の育休中に夫のロンドン転勤が決まりまして…… 自分の仕事に対して後ろ髪引かれる部分もあったのですが、思いきって帯同を選択しました。駐在妻になったことで、第一線で働いていた頃の自分からは想像もつかないほど家庭・育児中心の生活になり、葛藤からアイデンティティの危機に陥りました。喪失感を抱いてモヤモヤした時期を経て、今回、LAXICの一員として働けることになり嬉しいです。同じような境遇の方や子育てなどで一度離職した女性にも寄り添えるような形で新体制を盛り上げていきたいなと思っています。

編集部:これからのLAXICは潜在的なワーママ層…… たとえば一旦離職して専業主婦を経験した人や、鎌田さんのように駐在のご経験がある方にも親しんでもらえるメディアになる気がします!

鎌田:私も、出産前は割と仕事人間だったので、もし夫に海外赴任のお話がなければ、きっと今も企業勤めの忙しいワーママとして奮闘していたと思います。普通に育休を取って育児をしながら慌ただしく職場復帰の準備をして保育園を見つけて…… でも、実際は、想定していたよりずっと早いタイミングでロンドンに行くことになり、子育て中心の生活を送ることになって。辛い想いもたくさんしましたが、この経験ですごく視野が広がりましたし、女性やママの生き方や働き方は本当に多様なんだなと気づきました。

編集部:本当にそうですよね。LAXICのライターやコラムニストもみなさんママですが、フリーランスや副業という形で子育てと両立しながらお仕事しています。ところで、鎌田さんは駐妻経験でさまざまな葛藤を抱えたとのことですが、「アイデンティティの喪失」とは具体的にどんな体験だったのでしょうか?

鎌田:一言でいうと「今の私には存在価値がない」ってことかな。渡英して3ヶ月目に突然喪失感に襲われました。最初の1,2ヶ月は現地の暮らしに慣れることに精一杯だったけど、慣れてくると我に返る瞬間があって。「あれ、私何やってるんだろう……」って。 東京にいた頃は、好きな仕事をしてオンもオフも充実していて、自己実現ができていたのに、 “〇〇ちゃんのママ” でしかない自分に疑問を感じてしまって。

編集部:その気持ち、ちょっと分かる気がします。私も息子が1歳くらいのころは地域の児童館や子育て支援センターによく行っていましたが、基本 “〇〇ちゃんのママ”として交流する感じでしたから。

鎌田:実は、夫にロンドン赴任の話が来たのは私が育休復帰する直前だったんです。育休中は当然復職するつもりでいましたから、児童館などで出会ったママと当たり障りのない会話をすることには多少の違和感あれど、 もう少しで復職と思えば 「これも今だけ」 という感覚でした。

当時、私はハリウッドビューティサロン六本木ヒルズ本店の支配人で、育休中は託児所立ち上げのプロジェクトにも関わっていたんです。私もその託児所の利用を想定して育休復帰を楽しみにしていたのですが、夫のロンドン赴任が決まり、託児所利用どころか復職せずに退職することに…… “〇〇ちゃんのママ” な自分にはロンドンに行ってからのほうがモヤモヤしました。

編集部:そこまで大きなお仕事に関わったにもかかわらず退職を決断したのですから、モヤモヤして当然ですよ。

鎌田:渡英については、イギリスは憧れていた国でもあったし、何よりこれまでは自分の手でやりたいことを叶えてきたからこそ「今は夫の船に乗ってみるのもアリかな!」と、前向きな気持ちで決断できたと思います。でも、行ってみると葛藤は想像以上で。たとえば、当時は日本でちょうど女性活躍推進法が話題になっていたりしていて、働く女性を賛美する記事も多かったので、「専業主婦の私は活躍してないってこと?」と落ち込みました。家事や育児を頑張るのも立派な活躍だ! と表面的には反論するんですが、仕事で輝いていた過去の自分と今の自分を無意識に比較してしまいどんどん自信を失っていきました。

編集部:お仕事で達成感や充実感をたくさん得てきた鎌田さんだからこそ、駐妻時代は相当モヤモヤしたことと思います。 でも、イギリスでは 日本にあるママコミュニティのロンドン支部を立ち上げられたのですよね?

鎌田:そうなんです! まさに落ち込んでいたとき、東京を拠点に活動しているママのコミュニティ 『Himemama(ひめまま)』 代表からロンドン支部立ち上げのお話をいただきまして。当時、私はとにかく自信を失っていたのですが、背中を押していただいて。もともとコミュニティづくりは好きだし得意だったので、ロンドンに暮らす日本人ママと交流しながら、コミュニティの準備を始めました。コンセプトはママとしてではなく「わたし」が主役のコミュニティ。自分が主役になれる場所って大事ですよね。日本人ママ向けのイベントを開催したり、企業とコラボする機会もありました。この経験で失いかけていた自信が取り戻せました。

編集部:この経験はきっと鎌田さんの人生にとってターニングポイントだったのでしょうね!

鎌田:今では「駐在帯同してよかった」と思えますからね。この経験がなければ子どもがいても相変わらず目一杯仕事していたでしょうし、価値観的にも「出産後もバリバリお仕事しているね!」と言われることにステータスを感じていたかもしれません(笑)

編集部:わかります! 一度社会で男性と肩を並べてバリバリ仕事をしたことがある女性ほど、ライフイベントなどでそれまでと同じように働けなくなったらジレンマや不安を感じるんですよね。男女共同参画社会の弊害ですよね……

鎌田:育児や家事を中心に生活してみたことで、効率的に作業したり相手の気持ちに寄り添って行動するというのは仕事でしかできないことではないんだと気づいたんですが、これは本当に大きかったですね。とにかく、女性の生き方、ママの働き方ってもっと多様でいいのだと思えましたから。戦線離脱だと思い込んでいたのは自分だけ。これから自分のものさしでバランスのいい働き方を考えていこうと思います。

持ち前のバイタリティで確かな道を切り拓いてきた会社員時代

磨いてきたのはご縁をつくる力と巻き込む力

 

編集部:ハリウッドビューティサロンで支配人をされていたということもあって、お会いする前はキラキラしたイメージがあったのですが、お話を聞いてみてすごく人間臭い部分を垣間見た気がします。今回のLAXIC編集長のお話もそうですが、いろいろな活躍の機会を引き寄せるためには、すごく努力されてきたのかな? と思うのですが。

鎌田:努力かどうかは別として、私はもともと人と出会うのが大好きなんです。なので、人とのご縁の中でいろいろな機会を作ってきたところはあります。思えば大学時代はあまり大学には行かず、ベンチャー企業の学生支援サークルやベトナムの子どもの教育支援NGOで活動をしていました。

編集部:それはアクティブですね!

鎌田:でも、卒業後の進路選択は「親の期待に応えることが一番!」と思って、母親が希望した金融業界の総合職に就いたんですけどね(笑)

編集部:え!? それはすごいギャップ……

鎌田:新卒では大手生命保険会社の丸の内本社で銀行の窓販部門の研修担当を経験しました。私は根っからの負けず嫌いなのでとにかく負けたくない! と思い、頑張って営業研修の業績はトップでした。でも、上司からは「君は女の子なんだからそんなに頑張らなくても大丈夫だよ」と言われてしまって…… 同僚や上司が一生懸命になっていた社内政治にも私は興味を抱けず。次第に、親の期待に応えるのではなく、もっと私自身が活きる仕事がしたい! と思うようになって、友人の紹介でご縁のあったリクルートに転職しました。ホットペッパービューティの営業として美容室の新規開拓に奮闘しました。

編集部:金融業界からリクルートの営業って異色ですね。でも、負けず嫌いでアクティブな鎌田さんにはリクルートの風土は合っていそうですが。そこで学んだことや今に生かされていることはどんな点ですか?

鎌田:確かに異色だったとは思います。でもだからこそ負けないぞという気持ちで頑張りました。リクルートの仕事は、商品とセットで自分自身を付加価値として売り込める点がおもしろかったかな。 当時は今みたいにサロンをネット予約する習慣がなかったので、「ネット予約を当たり前にする」という使命感にみんなが燃えていました。営業先ではPCの使い方がわからない美容師さんがいればPCの使い方をレクチャーしたり、店舗の責任者だけでなく、決裁権のない美容師さんにも参加してもらえる勉強会を開催したり…… そんな地道な活動が営業成果に反映されるのが嬉しかったですね。

編集部:リクルートにいらしたのは3年半とのことですが、その後ハリウッドビューティサロンに転職するに至ったきっかけは何だったのでしょうか?

鎌田:これもやはり人のご縁というか…… もともとハリウッドはリクルート時代の営業先の一つでした。結局最後まで契約には至らなかったのですが(苦笑) 私の熱意や人柄は社長にはしっかり伝わっていたようで、「うちに来ない?」と誘っていただきました。リクルートの営業はやりがいが大きな仕事ではあったのですが、いつからか自分の中で “賞を取る” ということが目的になってしまっていて頑張りが空回りしていたんです。営業先だったハリウッドの社長にはそれを見抜かれて(笑)、あるとき「いま幸せ? もっと自分の人生を楽しみなよ」と言われたのが次へ進むきっかけでした。

編集部:鎌田さんは人のご縁を本当に上手につくりながらご自身を成長させる方なんですね。コミュニティを作るのが好き&得意とおっしゃる意味がわかります!

鎌田:コミュニティづくりについては、とはいえハリウッド時代に学んだのですけれどね。私が勤務していたのは六本木ヒルズにある本社だったので、六本木ヒルズの運営にも関わる裁量権の大きな仕事を任せていただけて貴重な経験でした。六本木ヒルズで働く人は2万人もいるんですが、会社が違えば特に交流することもなく忙しく働いて帰っていくだけ。「それってもったいなくない?」と思った人たちが “ヒルズ部” というコミュニティを立ち上げまして。私自身は、最初は顔を出す側だったのですが、気づいたら運営側になっていて(笑) テレビ朝日、グーグル、レノボ、コカコーラ、ハリウッドという異業種のメンバーが集まって、チャットやメッセンジャーなどで隙間時間にコミュニケーションを取っていたんですが、案外、面白い企画というのはこういう軽いやりとりからでも生まれるんですよね。事業計画を練って企画書を作って上司の承認をもらって…… という段取りに慣れていた私にとってはワクワクする経験でした。

編集部:お話を聞いているこちらもワクワクします。社長様から「いま幸せ?」と聞かれて転職したとのことですが、幸せになれたのでは!?

鎌田:そうですね。仕事では6年間のうちに支配人として社長の右腕として経営領域も含めさまざま学びながら裁量権の広い仕事をさせてもらいましたし、プライベートも結婚して子どもも授かって。幸せの基準はさまざまあると思いますが、とにかく当時は本当に充実していたのは確かですね。

編集部:がゆえ、旦那様の海外赴任のお話は思うところが大きかったとお察ししますが、きっとそれまでのキャリアをしっかり蓄えられたからこそ今につながっているのでしょうね!