ツイッターに投稿するビジュアル作品が、毎度のように驚異的なバズを引き起こすコスプレイヤー、高嶺ヒナさん。メディア露出が少ないにも関わらず、総フォロワー数は20万人を誇り、一部では「令和のバズ女王」とも呼ばれています。
数少ないドール系コスプレイヤーとしても最高クラスの影響力を持つだけに大学卒業後の動向が注目されましたが、「普通に就職します」と宣言。春から新社会人コスプレイヤーとなってからも、相変わらず絶大な反響を呼び起こしている彼女に、初の写真集「Lalka~偶像少女~」(2021年12月発行)の内容も引用しながらバズのtipsについて語っていただきました。
SNSでスーパーバズを自由自在に操る高嶺ヒナ。「なぜバズれるのか?」について徹底的に聞いてみました(撮影:清田大介)
――唯一無二の世界観によるビジュアルが“万バズ”(1万ツイート以上を指す言葉)、時には二桁の万バズすらも簡単に起こしてしまう高嶺さんですが、ビジュアルのコンセプトは、どこから思いつくのでしょうか?
“作品のコンセプトは全部僕一人で決めている。……創作キャラの場合はキャラ設定も重要だ。もともと、絵を描いていたので、こういうキャラがいたらいいなという理想を作品として再現していることが多い。黒髪と赤髪キャラが多いのも僕の個人的な好みが色濃く反映されている。設定を考えるのは大好きなので「此の子はこんなことを言いそう」「こういう過去があるから表情や態度はこんな感じ」と僕の中では細かい裏設定がある。文章に書き出すこともあるけど、ほとんどは僕の頭の中だけに大切に仕舞われている。 ……僕が考える良い作品とは良くも悪くもその写真1枚で自由に討論出来ることだと思ってる。だから作品では一言だけヒントめいたものを与えて、あとは放置。好き勝手に解釈してほしいから”(「Lalka~偶像少女~」より)
最近の作品だと「学園のマドンナ」あたりはかなりお気に入りなんですが、あれは自分自身の「こんな姿で学生生活が送れたらどんなに良かっただろうか」みたいな劣等感から来ていたりします(笑)。いわゆる青春コンプレックスとか呼ばれるやつです。こんな可愛い制服を着て、自分の理想の顔で毎日過ごせてたら人生変わってたのかなー、なんて思ったり。
基本的には爽やかさやフレッシュさの演出に努めたのですが、メイクが薄めでもこれまでドール系を貫いてきた「高嶺ヒナ」らしさの演出(アイデンティティであるスーパーロングヘアの動きや目つきへの拘り)は忘れずにいたつもりです。
――高嶺さんは普段から「高嶺ヒナ」は完璧に作り上げられた偶像であると語っていますが、素の自分自身からは全く影響を受けていないのでしょうか?
“空っぽな有機物は、完璧な無機物に敵わない――”僕は常々そう思っている。こんな事を言うと反感を買いそうではあるが、考えても見てほしい。動かない、喋らない、どの角度から見ても完璧な造形美を持つドールと、容姿の美醜に関わらず、自分は何も行動すら起こさないのに他人の悪口で盛り上がる人間が居たと仮定する。比較するのは変かもしれないが、幾ら容貌が美しくとも中身がマイナスポイントなのであれば、いっそのこと中身がなく、「美」に特化したドールのほうが素晴らしいモノの様に感じてしまう。 豪奢なドレスも違和感なく着こなせてしまう顔とスタイル。誰もが憧れる高嶺の花であり、清廉潔白で、絶対に病んだり弱音を吐いたりしない鋼のメンタルを持つ最強な女。ドールのように360度、何処から見ても完璧な存在。 “高嶺ヒナ”は僕の理想を体現した究極の創作物であり、加工も含めた完全無欠の偶像だ。人間は感情や嗜好によって美しさの尺度が変わりがちだけど、高嶺ヒナだけは絶対美として君臨し続ける「作品」なのだ。(「Lalka~偶像少女~」より)
そうとも言い切れません。「高嶺ヒナ」に純度100%のキラキラマドンナ、というのを演じるのは現状では不可能に近いと思っています。写真集でも触れていますが、僕のこれまでの人生って、決してキラキラと言えるものではありませんでしたから。
でもそれも含めて、自分を形づくる全ての経験が今の「高嶺ヒナ」という偶像へのインスピレーションへ生きています。過去は変えられない。だからこそ、「“高嶺ヒナ”という形で理想の人生を上書きしている」という感じです。