いつも真面目に、頑張り過ぎてしまう私たちだから――。コロナ禍の今こそ見つめ直したい、擦り減らない働き方、生き方を実践するヒントとは?
向かない仕事をしていると、幸せになれない。
そんな考えから、自分の適性を知った上で職業選択をするのはブームの域を超えて常識になりつつある。働き始めてからも、「自分はこの仕事に向いていないんじゃないか」と悩み、転職を考える人は多いだろう。
しかし、「向かない仕事はすべきでない」そんな考え方をすっぱりと否定する人がいる。今年で芸歴17年目を迎え、今年10月に『わたしもかわいく生まれたかったな』(集英社)を上梓したばかりのお笑い芸人、たんぽぽ・川村エミコさんだ。
『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)のレギュラーとなり、その名を全国区にしてもなお「根暗な自分は、芸人向きじゃない」と思い続けているという。
不向きな仕事で頑張るのって、自分に負荷がかかるし、何だか不毛な気がしてしまう……。そんな気持ちをぶつけてみると、「仕事の向き不向きを、幸せや不幸と一緒に考えてしまう人が多過ぎる」と川村さん。
それは一体どういうことだろうか。“向かない”と自覚する仕事を17年も続けてきた理由、働くことを通じて幸せになるためのヒントを教えてくれた。
性格は暗いけど、舞台に立って人を笑わせたかった
「自分は芸人に向いている」なんて、この17年間、一度も思ったことはないです。
どんなに舞台に立っても、テレビに出ても、「自分より芸人に向いてる人はたくさんいるしな」と思ってきました。だって、お笑いって楽しいものだから、私みたいな暗い性格の人よりも、根っこから明るい人がやる方が面白いだろうなって考えていたから。
そんな私が初めて夢を持ったのは、小学一年生の頃。よく私を舞台に連れて行ってくれていた、劇団で役者をしている伯父さんが、私の祖父のお葬式で喪主の挨拶を務めた時のこと。
「うちのおやじっていうのは……」と伯父さんが話し始めた途端、沈んでいた会場の空気がガラッと変わり、声を出して笑う人が続出。本来しめやかに行われるはずのお葬式が、温かい笑いに包まれたんです。
会場の雰囲気の変わりようを目にして、子どもながらに心が震えました。「伯父さんはなんてかっこいいんだろう。私もあんな風になりたい!」……胸がギュッとなるような憧れの気持ちから、私は、「舞台に立つ人」を目指すようになります。
大学に入ると、生活は演劇一色に。大学の演劇研究会だけでなく外部の小劇団にも加入し、稽古に励んでいました。お笑いの世界に興味を持ったきっかけは、大学三年生の時の学園祭で観た、さまぁ~ずさんのライブです。
その時のことは今もよく覚えています。講堂の舞台に二人が現れた途端、大竹さんがこう言ったんです。「公民館みたいじゃねーか!」って。その瞬間「わああああっ!!!」っと会場全体に笑いが起きて、建物が音を立てて崩れるんじゃないかってぐらいウケたんですよ(笑)。
爆笑に揺れる講堂の中で、私はめちゃくちゃ感動していました。「たった一言でこんなに人をハッピーにできるなんて、芸人さんってすごい!!」と。
さまぁ~ずさんのライブの後、ふとあるチラシが目にとまりました。「ホリプロお笑いジェンヌ?」。読んでみると、女の子だけのお笑いの団体をつくるにあたり、メンバーを募集中とのこと。
「一から団体を立ち上げるなんて面白そう。しかも『ホリプロお笑いジェンヌ』って(笑)、ダサ可愛いじゃん、素敵!」と思い、すぐに履歴書を送りました。でも、残念ながら返事はなく、あぁだめだったか……と少し落ち込みましたね。
それから、約1年半後。大学を卒業する間近になって、なんとホリプロの方から電話がかかってきたんです。
「お笑いジェンヌ、まだやる気ありますか?」
驚きました。とっくに落ちたと思ってたのに、落ちてなかったんです! 「ホリプロは待っていたんだ、私が卒業するのを!」って人知れずはしゃいでしまいました(笑)。
舞台に立てるのなら、演劇でもお笑いでも、どんな形でもいい。このチャンスを何とか掴みたいと思い、「やります!」と返事をして目黒にあるホリプロ本社へ向かいました。
それからは、ひたすらネタを作っては見せる日々。ところが、人前で演技をしたことはあっても、自分でネタを作った経験はありません。一体何がウケるのか分からなくて、ものすごく悩みました。国分寺のジョナサンにこもって「ネタとはなんぞや?」から考えて……。
その時の私は、お笑いは明るいものなんだから、芸人は明るくなければならないと思い込んでいました。
「暗い部分は隠さねば!」と、ひたすら明るいキャラを演じ続けていて。ハイテンションで「コケシココケシコ、ココココー! 自称『こけしちゃん』こと、川村エミコでごゼィやんす!!」とか出来る限りおどけてみました。でもね、全然ウケなかったんです。