視聴者はわかりにくいことを三谷幸喜に期待しない
「Nキャス」でもエンターテイナーとして作り込んだコントのようなものをやってみせてくれているサービス精神は三谷らしい。だが、三谷が朝日新聞のコラムに書く大河の話題を楽しみにするほど積極的な感覚が「Nキャス」にはいまのところ湧いてこない。三谷幸喜の冠番組ではないからだろう。
「三谷幸喜のありふれた生活 (16) 『予測不能』」朝日新聞出版
「Nキャス」の三谷幸喜は主役なのか主役じゃないのか判別しづらく、彼の言動もフィクションなのかノンフィクションなのかわかりにくい。「Nキャス」はフィクション番組ではなくニュース番組である。視聴者はそこにそれなりの真実を期待している。そこにフィクションかノンフィクションか、主役なのかそうでないのか、よくわからないグレーなことを持ち込むことを期待していない。
とりわけ昨今は、フィクションであれノンフィクションであれ、ナチュラルな振る舞いが好まれる。リアリティーショーの影響で自然体こそ真実と思う節がある。そのニーズに応えるとしたら、三谷を主役にして、脚本に臨(のぞ)む状況を作り込まず生々しくドキュメントしたものであれば他局の番宣のようなものでも自然体で見ることができるのではないだろうか。
そう、フックになるのは、遅筆な作家として知られている三谷が、生放送に毎週出る余裕がはたしてあるのだろうかというリアルな問題である。それこそが視聴者が期待するありのままとか素とか自然体とかナチュラルとかいう真実めいたものである。
三谷幸喜はセンターに立ってこそ輝く
時代と逆行するように、ひたすら、コントふうの大河ドラマ番宣を挟(はさ)もうとする三谷幸喜の真意が気になる。
あれだけの作家である。彼は、視聴者が真実と思っていることに真実なんてないというニュース番組の根幹を揺るがそうとしているのではないか。もしかして、この番組宣伝はじつは巧みに組み込まれた三谷幸喜ショーのいち部分なのではないか。それは着々と毎週拡大し、いつしか私たちは「Nキャス」のフリージャーナリスト三谷幸喜を受け入れてしまうのかもしれない。そのとき「Nキャス」はメインキャスター三谷幸喜による新番組「三谷幸喜アワー」に変わる(あくまで筆者の妄想です)。
まるで、執権・北条家が将軍を抑えて実質、実権を握ったように。やっぱり三谷幸喜はセンターに立ってこそ輝くのだ。そんな妄想が止まらない。
それでも、他局で大河の内職コントではなく、“劇作家”として、古今東西様々な物語に触れてきた知性と教養と鋭い視点をまっすぐにニュース番組で生かす姿を期待する気持ちも捨てきれない。
<文/木俣冬> 木俣 冬 フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami
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